修羅の日記(公開試運転中)

ダイアリーから移転しました

海津の加藤4トン・ディーゼル機関車

■家から近いところにあるにもかかわらず、前から行く機会が無いままのものがたくさんあります。その一つ三重・愛知と県境を接した岐阜県海津市に保存されている加藤製作所4t機関車を訪ねました。

■この地域は木曽・長良・揖斐の木曽三川がつくる輪中地帯の一部で、隣の桑名市長島にも、同様の輪中での生活や治水を紹介した博物館がありますが、機関車がある海津市歴史民俗資料館は、御覧のように、まるでお城と見まがうような立派な施設。入口にはこれまた立派な排水ポンプが鎮座。荏原製作所製、駆動するモーターには明電舎と刻んである。

■資料館の裏手には簡易な船着き場が作られ、そこから上流を望むといかにも水郷という雰囲気。お天気が良かったせいか、果てしなく平らに拡がる水田地帯が・・ぜひ大きいサイズで見てください。

■件の加藤くんはポンプと資料館の間に2両の土運車を牽いてひっそりと・・・。

■この「加藤」は移設前に「トワイライト・ゾーン」などで、有名なお千代保稲荷(ちょぼ・いなり)神社近くの資材置き場にあることが取りあげられましたが、長者丸さんところにも画像がばっちり。

長者丸作業部「加藤がいたんですよ加藤が」
http://www.chojamaru.com/under36/kato.html

■また岐阜県在住でパソコン通信の時代からNiftyをやっていて、早い時期からホームページを持っていたNAROさんという方からメールで教えていただいたことがあります。久しぶりにチェックしたらありました!1992年のこの機関車の姿。NAROさんが、このページをちゃんと残してあったことに感激。

NAROのホームページ 平田の干拓用DL(1992)
http://homepage1.nifty.com/naro/truck/sansendl.htm

■編集長敬白 アーカイブにも、移設前後の画像が。

編集長敬白 2007年3月29日「岐阜の「加藤くん」と15年ぶりの再会。」 
http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2007/03/post-496.html

■この機関車を建設機械として、所有していたのは岐阜県農政部開拓課(当時の組織)で、輪中地域独特の低湿地に作られた堀田(これも資料館に実物が再現されている)の土地改良事業で、高須輪中北部の畑の土砂を軌道によって運搬するために使われたものだそうです。
 この工事用軌道で使用されたディーゼル機関車のうち2両が工事終了後に平田町の三川工業が預かる形で長らく保管され、その時期にNAROさんや長者丸さんらにキャッチされたものですね。

■あと1両はどこに消えたのか?はわかりませんが1両は歴史民俗資料館で保存という形。最近、塗り替えられたばかりのよう。トロッコも上回りを新造した(?)みたいで綺麗になっています。残念ながらガラスは白濁して運転席がどうなっているのか見えません。キャブ扉には南京錠で鍵がかかっています

■この機関車と向き合った時の印象は、極めて小柄な機関車ということです。軌道の幅も狭い!508mm(20インチ)です。輪中の干拓には610mm(24インチ=2フィート)も多く使われたそうですが、まるで遊園地の乗り物並みに狭い。自分自身は508ミリ軌間の機関車は初めて遭遇しました。

■パネルに書いてあったデータを示しておきます。

【加藤ディーゼル機関車
運転整備重量:4トン、全長:3m10㎝、全幅:1m34㎝、全高:2m16㎝
軌間:508mm〜610mm(?)、走行速度 毎時18㎞、引張トン数:20〜40トン
最大馬力 70馬力、変速機形式1−M、エンジン いすずDA220
製造年月 昭和34年(1959)12月、製造会社 ㈱加藤製作所

■機関車が木漏れ日の中、ひっそり2両のトロッコを牽く後ろ姿はなんとも可愛いのだが、同時に哀愁を感じるのは自分だけかな?

■写真を適当に並べておきます。加藤製作所の機関車で酒井製のように正面がゴム2枚窓というのが、またいい味ですね。HOスケールだと、どえらい小さいサイズになりそうですが、可愛くOナローにアレンジしたキットが欲しいですなあ。


■近くには海津温泉という立派な施設があり、立ち寄ってひと風呂浴びました。長島温泉もそうですが、このあたりは割に豊富に温泉もでるのですね。ただ温度は低めですがナトリウム泉で塩辛い。海津温泉は鉄分が多いのか、やや茶色く濁っています。いや浸みますよ、結構。背中の痛みにも少しは効きそう、