修羅の日記(公開試運転中)

ダイアリーから移転しました

久が原の模型店モデルエース

■叔母の家が東急池上線久が原駅周辺にあることもあり、学生時代、昭和50年前後に南久が原というところに住んでいました。学校からは遠いのですが、居心地が良くて結局ここで4年間を過ごしました。

■突然、なぜ昔のことを思い出したかというと、桜の季節になると道を隔てた東調布第3小学校の見事な桜の木を思い出します。東京から都落ちするような感じで離れがたく、バンドを一緒にやっていた友達とも名残惜しくて、最終的に引き払ったのは3月末、荷物をレンタカーに詰めながらまだ蕾の桜の木を見上げていました。

■4年になり、モノにはならなかったバンド活動も止め、肩まであった髪の毛は短く刈って就職活動中に、学校の授業もそこそこで時間もあり、このころは鉄道模型ではなく飛行機や船のプラモを作って遊んでいました。その時に久が原にはモデルエースという模型店があり、頻繁に出入りするうちに店主夫婦と仲良くなって、お店の裏でコーヒーをいただいたりするようになりました。

■そのころから洋モノのキットや裏には洋書があったり、「アバロンヒルのウォーゲーム」を扱っていたり、ガンダムが無い時代にフィギュアのキットがあったり、「知る人ぞ知る模型店」だったようです。
■店主の知り合いで、当時は珍しい女性モデラーの彼女を紹介してもらったり、奥さんがちょっと買い物に出る時には、少しの時間だけれど店番までやったり・・モデルエースとのお付き合いは短い時間だったけれど楽しい思い出ばかり。

ファサードのイメージは緑色のビニールの日よけに白抜きで「モデル・エース」。お店は現在無いようですね。久が原銀座商店街のどのへんだったのかGoogleで探してみたけれど思いだせない。それにしても銀座商店街をGoogleで探検するととても懐かしい。花屋さんなんかそのままだ。

■検索かけると2ちゃんねるの書き込みで、
「火事になってから移転したんだよね」
「メテルフィギュアとか普通に売っててかなりコアな店だったなーショーウィンドウにあったナウシカとかエイリアンの自作フィギュアさ、あれ今思えば海洋堂の立ち上げメンバーの作品なんだよな」
「クオリティー異常に高かったしプラモも売ってたけどD&DとかTRPGはもちろん、和性TRPGのさきがけグループSNE関連あったからなー」
「70年代初頭にマイナーな洋物プラモとか、見た事もないメタルキットとかを大量在庫してた。
ニッチな店だったな〜(笑)今にして思えば久が原のあの場所に、若者カルチャーの最先端ショップがあったとは驚異ですね。」
「私がモデルエースに行ってたころは、モデルガンの印象が強いすねぇ」
などの書き込みがあり、 うーん、自分がいたころもメタルのフィギュアキットは確か裏にたくさん置いてありましたが、予想以上に凄いお店だったのか!! RPG系は「D&D(ダンジョン・アンド・ドラゴン)」ぐらいしか意味がわかりませんが、店主が力を入れていた「ウォーゲーム」から「RPGボードゲーム」のすごい盛り上がったお店になって・・火事!!えーー!!

■あれだけお世話になったのに店主や彼女の顔すら思い出せない、ごめんなさいね。お店の正確な位置すら・・、交番のそばだったかな?無性に懐かしいな。モデルエースのこと知っている方はコメントくださいな。

【注】D&D(ダンジョン・アンド・ドラゴン)は確かパソコンゲームの「ウィザードリー」のもとになったゲームでしたっけ?映画「E.T.」で子どもたちが妙な形のサイコロ振って遊んでいたのがこれだったという記憶が・・。