修羅の日記(公開試運転中)

ダイアリーから移転しました

大コン9200とHOj(1/87、12mm)の模型 【2】

■前回のUさんのコメント「乱暴に言えば、けむり/87pr.の中ではコロラド=メイン=北海道だったのかも(ダックスストーリーが「石狩軽便」であった事に着目)。だから、1/80ではダメで1/87でなければならなかったのかも。つまり、ごく初期(商業化される前)の1/87-12mmはHOn3の変形と言えるかも。」というのは12ミリの模型の「ひとつのスタート点」だったのは間違いないと思います。(スタート点は他にもあったのかもしれませんけれども)

■最近の黒石病のひろがり(HOn3の盛り上がり)もあって、ナローゲージ・ファンの間でアメリカの3フィートの鉄道に関する理解が拡がっていることもあり、興味も持っていただけるかな?日本型であるモデル・ワーゲンのHOj(1/87、12ミリ)の9200とHOn3(1/87,10.5ミリ)コロラド・ナローのC-17クラス(リオグランデ・サザンの42号機を並べてみました、同じボールドウィン製、同じコンソリデ―ション(軸配置が。○○○○、2-8-0のもの)、という単なる形態の類似だけではなく、この形式9200という機関車のこと、前回の12ミリゲージの模型をどう捉えるかまで、改めていろいろと考えさせらます。

■C-17はKey importsが製作した韓国製のブラス・モデル。塗装・サウンド塔載のために分解したまま、HOn3から撤退、売ることもできずに箱入り娘だったものを取り出してみました。このモデルはモーターをボイラーの中に収めて凝ったキャブ・インテリア付きで、なかなかよくできています。えらい綺麗な真鍮の地金と思われるかもしれませんが。この手の韓国製ブラスによくある金色塗装です、念のため。和製9200と比べると、全体的に線が太い感じがしますが、良く似ています。斜め後ろから見た姿から受ける印象は特に似ています。

■あららぎさんも同じことを考えていたみたいで、左の画像とともに次のコメントを寄せていただきました。ありがとうございます。
コロラドナローは腰が低い分、シッカリと見えますね。12mmの9200の線の細さを倉持さんが初期のRMで言及していました。(前回の108号のことです。)
 写真見て頂くと相乗効果。C-16をチョイと切り貼れば9050です。違いはボイラーの高さとドームや煙突の造作くらい。いつかやりたい空知On版。赤-C-16 青-9050 』
■なるほど!9050の方がコロラド・ナローぽいですねー。9200は前回述べたように国の機関である鉄道作業局が発注したもので一回り大きい。北海道炭鉱鉄道の9050は小さくできていますから。しかし、両方ともいやに煙室を前に延長して前のめりのスタイルなのが、C-16やC-17との大きな違いですね。


■次の画像はKondoura氏がブログで見せてくれたC57とコロラドナローの機関車(僕のいい加減な機関車と違ってモノホンの黒石だ!)の画像。提供してくれてありがとう!

■kondoura氏はC57と K28あたりを比較して「ゼロ戦とF4Fの差」と表現していますが、とても面白いですねーー!感覚としてはその通りだと思います。アメリカの戦闘機はプラット&ホイットニーなどの空冷エンジンは直径を大きくして、どんどん馬力アップしていくのに対して、日本は直径が小さくて空気抵抗が少ないが強力なエンジン、反面、繊細・精密すぎて製造・整備が難しい中島の「誉エンジン」を選択・・って経過とも似ている感じがしないでもありません。中島のエンジンのように日本ではボイラー径が細くて高い位置にあってバランス良くて綺麗。コロラドの機関車は位置が低くてずんぐりして、がっちりして迫力を感じます。しかもK28はアウトサイドフレーム。9600あたりを引っ張り出しても、たぶん受ける印象は同じだと思いますね。煙突の位置を見ても車輌限界の高さはそう変わらないと思うのですが・・。
しかし、このK28はよくできてカッコいいなあ・・・。 

■一番右のK27は模型がありませんが軸配置2-8-2「ミカド」の語源ともなる日本の9700(常磐炭田の石炭輸送用、日本鉄道Bt4/6,ボールドウィン製)とよく似ています。9200から後、日露戦争後の日本の蒸気機関車は、なんで、ここまで形が違うようになったのでしょうねー。

■実物の話をさせていただくと日露戦争の後、わが国では広軌論がでてくる一方で、ライセンス生産などを経て国内で設計・製造する体制がかっちりし、特に島安次郎が鉄道院工作課長になってからは我が国の蒸機は「広火室の大型ボイラーは不要」との方針で、コロラドの3フィート・ナローとは全く別の道に進化していき、「ナロー」と呼んではいけないような標準軌の機関車を縮めたような「バランスの良い」形態に進化していくわけです。

モデラーでもあり日本の蒸気機関車の研究者である齋藤晃さんの著作※では、島らのスモール・エンジン・ポリシーを受け継いで発展した日本の近代蒸気機関車の歴史を、アメリカやヨーロッパなど、さらに同じ狭軌で発展したニュージーランド国鉄南アフリカ国鉄蒸気機関車改良の歴史と比較しても、「世界に誇れる新技術は出なかった」「限られた時間、少人数の設計者集団、競争のない環境、ひとつの権威のもとでは新しいもの、異なるものは常に排除される。生まれ出る機関車が単調なものになった」との厳しい見方をしています。
 日本の蒸気機関車の独自開発の歴史は短いので致し方ない面もありますが、「無理をしない設計」で最後まで中途半端な性能のものでしかなかった日本の蒸気機関車のことを、齊藤さんは「憧れと親しみ」を覚えながらも、技術史上の認識としては厳しく見つめていらっしゃいます。
(※Rail Magazine200 2000年5月号蒸気機関車の20世紀「日本の近代蒸気機関車を再評価する」とても感銘を受ける記事でした。)

■以下はネコ・パブリッシング社Rail Magazine 1994年1月増刊刊「日本の蒸気機関車」 高木宏之氏の「国鉄蒸気発達史 第三章 鉄道院時代」からの島安次郎のスモール・エンジン・ポリシーに関する、解りやすい記述の引用です。

■「島の判断の根底にはプロイセン邦有鉄道への傾倒があったと思われます。彼は関西鉄道から作業局に招かれたのち、蒸機の製造監督のためドイツに駐在した際、同鉄道のプラクティスがわが国に最適と認めたようです。理由としては実用本位で工芸品的要素が少なかったこと、基本構造が比較的簡素であったこと、使用材料が全般に安価であったこと、使い捨てでなく修繕しながらの長期使用を前提にしていること、低質炭でも一応の性能が出せたなどの他に、標準軌間としては蒸機が全般に小型であり、手本にしやすかったことが考えられます。
当時のプロイセン邦有鉄道は小型機関車主義(スモール・エンジン・ポリシー)によっていたと思われます。これは比較的小型の蒸機に常時能力一杯の仕事をさせ、負荷増大には補機に対応する方法で、島の経済感覚にもマッチするものでした。これと反対の方法が大型機関車主義(ラージ・エンジン・ポリシー)で、どちらが良いかが線区の条件や国情、時代背景にもよります・・」

日露戦争の後、輸入機の時代は終わりをつげ、ご存知のように日本の機関車は8620や9600のようなスタイルになっていきます。

■島は四日市に工場のあった関西鉄道時代は、「早風(はやて)」、1,575ミリという大きな動輪で有名なピッツバーグ製の4-4-0テンダー機(国有化後の形式は6500)を導入するなど、アメリカ流のプラクティスを駆使していたはずなのに・・。なお島の子どもがD51などの数々の機関車を設計し、後に新幹線を産む国鉄技師長として活躍した島秀雄氏なのはあまりにも有名な話です。【画像は関西鉄道「早風」の四日市市立博物館展示模型】

■この間訪問した播但線生野駅には、かつてのC57重連の牽く貨物列車の写真が展示してあり、SLファンとしてはすごいなと思いつつも、線路状態から貨物用のSL、9600やD51が使えず、本来旅客用のC51やC54、C57などライト・パシフィックを連ねて担うなんて、よくよく考えればナンセンスな話です。スモール・エンジンねえ・・しかも日中戦争で飛躍的に増える貨物量に慌ててD52などのラージ・エンジン・ポリシーに転換していくわけですが・・。

■電車の時代になって動力を分散する思想は、新幹線に結実して大成功を収めるわけですが、こと蒸気機関車に限った話では、三気筒の機関車もハイパワーのマレーも中途半端に終わったことは、とても残念ですね。

■1/87、12ミリの模型の世界も、実物の進化と同様、完成度が極めて高い1,067ミリの我が国のメインライン中心の展開になっています。製品はとても魅力的に感じて欲しいものもあるのですが、列車を編成しようとすると、軽自動車1台分の値段になってしまいますネ。(16番も同様「モデラーなら自作せよ!」との声が聞こえてきそうですが・・)
 20年前にモデル・ワーゲンが初めての製品として9200という機関車を選んだことに、自分のようなコロラド・ナロー好きなモデラーは「米国3フィート・ナロー蒸機へのシンパシー」のメッセージを感じて、ごく単純に、今もそれがいいな!って懐かしむわけです。

【追記】■「1/87、12ミリ」の呼び名のことですが、軌間が3フィート6インチの模型なので「HOn3 1/2」が最初の名称だったはずです。でも日本の軽便で一般的な2フィート6インチの模型がHOn30やOn30と表記をインチ換算で表記したように、1/2はこのネットで使うのにも判りにくいので誰も使わなくなりました。
■日本型が登場したときにはメーカーが「HOj」と名付け。「j」はJapaneseの意味ですか、誰ですか乗工社(Joe Works)の「j」だ、って言うのは(笑)、「HOj」も最近は使わなれなくなりました。あちらこちらで最近、見かけるのは大文字を使い、メーター法でミリ表示「HO1067」って表記です。
■今回は9200発売当時の「HOj」であえて書きましたが、何か日露戦争後の後藤新平が展開した「広軌論」など実物の混乱の経緯と、この30年余りの12ミリと16番の模型を巡る状況が似ているような・・僕には詳しく書けるだけの知識や経験がありません。2012.2.6) 

【追記】■「HO1067」が最近出てきたみたいなことを書きましたが、1/87、12ミリ発足当時、複数のメーカーがつけた呼び名は「HO-1067」であることをcjmさんから教えてもらいました。また「HOj」の「j」は「japan」ではなく、アルファロメオなど車の名前にならって「junior」という説もあると、Uさんから指摘がありました。うーん、部外者ですから、がんがんやっている人が何がいいかですね。(2012.2.7)