修羅の日記(公開試運転中)

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「與太者(よたもの)と小町娘」(1935年)の森林鉄道

■皆さんも多分、何度もご覧になっているのじゃないか、と思いますが、You Tubeで「木曽森林鉄道」といれて検索すると、白黒のとてもエグい動画が突然飛び込んできます。タイトルが「木曽森林鉄道」と題されたこの動画には「与太者と小町娘」昭和10年 無声サウンド版」とだけ投稿者によって注釈が付けられています。往時の木曽谷の機関車たちの動く姿が映る貴重な映像なのですが、この映画が何なのかずっと引っ掛っていました。(ちなみに「木曽森林鉄道」という名前の鉄道は無いそうですが。)

タイトル「木曽森林鉄道」の映像(注意♪You Tubeにリンクして♪いきなり音が出ます♪)


■いきなり木を載せた運材台車がでてきてブレーキマンが乗っている。そのあとにつづく内燃機関車(※注 「酒井」ではないそうです)で、その屋根の上には奇妙な格好をして犬を連れた「与太者3人組」が乗っている画像に「なんだ、こりゃ!」と仰け反りそうになる。
■次には玉葱形煙突の導入当時に近い形をして、まだ石炭焚きのボールドウィン蒸気機関車がやってくる。暖かそうなコートを着た別の男が、颯爽と運材から降りてくる映像。で、なにやら3人が話したあと、御嶽山をバックに、開けた地形の場所で同じボールドウィンが運材を牽いて行く画像。木曽の風景に間違いない!
■伐採の作業小屋の横を内燃機関車が通っていく画像。ストーリーから悪人のアジトの想定かもしれませんね。
■最後はボールドウィンが推進で運材を押していくという、やや珍妙な列車。先頭の運材台車にはヒロインと思しきショールの女性と頭に包帯を巻いたイケメンがゴザを敷いて乗っている。このトラス鉄橋の風景には覚えがありますねー?!

■調べてみると映画は「與太者と小町娘」(1935年)。11作制作された与太者シリーズの10作目にあたります。シリーズは典型的なローコストB級映画の類ですが、10作目は木曽でオール・ロケで映画が作られているそうで、よほど人気があったので撮影費用も会社が出してくれたのだろうと想像できます。

■監督は野村浩将(のむら ひろまさ)。「松竹蒲田撮影所で、この与太者シリーズで人気を博したあと、1938年には『愛染かつら』(田中絹代主演)が大ヒットする。戦前の松竹を代表する映画監督のひとり。」

■「与太者三人組」に扮するのは磯野秋雄、三井秀男(のちの三井弘次)、阿部正三郎。このうち三井は、「戦後に黒澤明監督や小津安二郎監督作品などで名バイプレーヤーとして活躍することになる。ここに映っている与太者トリオのうち左の人(?)。「与太者」とは不良のことですが昔の不良は髪型とか普通、余り怖くない不良。

■ヒロインには坪内美子。「小津安二郎監督の『浮草物語』などの話題作に出演し、その美貌が人気を集めると共に、この映画が公開された1935年には幹部に昇進し、名実共に、松竹の看板女優となる。戦後 坪内美詠子と改名し人気テレビドラマ『事件記者』では飲み屋の女将を演じてお茶の間の人気を得た。」僕はこの人の名前が記憶あるな、『チャコちゃん』だっけなあ?。

■最後の運材に乗っているイケメンは往年の二枚目俳優である大日方傳(おびなたでん)。「東洋大学出身、『伊豆の踊子』(1933年、五所平之助監督)や『出来ごころ』(1933年、小津安二郎監督)などのサイレント作品で主演を務めた。」、この人も昔の映画で二枚目として名を馳せた人ですね。眉毛で分かりました。

■映画の筋書きは「木曽の山中で森林伐採業を営むふたつの組はいつも縄張り争いでもめていた。『与太者トリオ』は親方(上山草人)の娘(坪内美子)の苦境を救うために相手グループに戦いを挑む。そこに娘の婚約者の青年(大日方傅)が現れ相手グループにボコボコにされそうになるが、三人組がこれを助ける。」勧善懲悪、単純明快なストーリーのドタバタ喜劇らしい。「らしい」というのは残念ながら映画を見ていないためです。

■与太者トリオは今で言えばジャニーズ系みたいに人気があったみたいですね。それにしても西部劇みたいな変な格好しているのですよー。当時はこのファッションにびっくりしただろうな。三井はこの10作目で松竹から移籍、11作目は代役をたてて撮影されたものの、これでシリーズは終了しトリオは解散します。

■当時の人には木曽の伐採場は「荒くれものが集うアメリカ西部の開拓地」のように思われていたのですかね。木曽谷の森林鉄道は、「西部」とは全く逆の帝室林野局という厳格そうなところが管理していたはず。よくも、与太者トリオ3人組のドタバタ喜劇を撮影できたものだと考えるだけで何だか可笑しいのです。

■最後のシーンが撮影されたところではないかと推定した場所。木曽谷で一番最初の森林鉄道となった小川森林鉄道の小田野橋梁。木曽谷を代表する風景「鬼淵橋梁」と同じく帝室林野局が設計し横河橋梁�が製造した下路式トラス橋。鬼淵が曲弦トラスなのに対してこちらは少し小ぶりの平行弦トラス。有名な赤沢休養林に行く途中にあるのですが、線路がまだある貴重な橋なのに鬼淵の陰に隠れて、廃線跡マニア以外、あまり知られていないですね。

■冒頭の機関車※を最初、初期の酒井工作所製ではないかと書いてしまったのですが、cjmさんによれば、木曽谷に国産である酒井製の最初の機体が入ったのが、この映画の公開年でもある1935年とのこと。※国産ではなく輸入内燃機関車、『冒頭・後半ともプリムスの4t(ガソリン機関車)』とのことです。
 なお冒頭のシーンについては、『入換でもないかぎり積車編成の推進はあまりありえない話なので、実際にはBLW辺りが牽く運材のケツにぶら下がってるだけでしょうね。』 なるほど!それも面白い話。機関車のガクンという思わぬ動きで、すぐに屋根の3人組も振り落とされそうで危ないですね。

【追記】非商用で研究のために画像を使用させていただいておりますが、問題がある場合は削除しますのでメールにてご連絡ください。