修羅の日記(公開試運転中)

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金沢に新諸国鉄道を訪ねる

■先日、金沢にいる娘がメールで「『Clubism』というタウン誌の「金沢のすごい人事典」という特集記事にお友達がでているよ。」と知らせてくれました。鉄道模型の世界では大先輩の「Kさん」(※あえてこう表現させていただきます)に対して「お友達」とは甚だ失礼ですが、木曽森林鉄道を撮影された8ミリのマスターに近いビデオを先日お借りして、返却を娘に頼んだので、Kさんのお店の写真で鉄分ゼロの娘も記事に気付いたようです。私としてはKさんみたいなお方とお知り合いで娘には「鼻高々!」。

●金沢の情報なら金沢倶楽部 Clubism 11月号   http://www.k-club.co.jp/clubism/bk.html

■「Clubism」、就活セミナーで帰ってくるついでに買ってきてくれました。枚数は少ないのですが金沢の趣味の有名人は他の分野でもレベルが高い。Kさんがバリっとその一翼を拡げているのは嬉しい限りです。ついでに「石川グルメ決定版」は接収されました。

■Kさんと時折お手紙を交わすようになったきっかけは、2002年ごろにナローゲージ・ジャンクション(NGJ)会報誌に掲載してもらった「北勢軽便王国物語」に感想のお便りをいただいてからです。その後も何かモジュールを作ったりするたびに写真をやりとりしたり、電子メールはほとんど使ってないので、自分としては多く手紙をやりとりしたお一人かもしれません。

■昔、サイパンのコッペルが北勢鉄道のものではないかという話を現地できいたと資料をKさんから送っていただいたのですが、Kさんの全く預かり知らぬところで、この話が自分のせいで地元で予期せぬ騒動を巻き起こすとは!このドタバタ話はさらなる騒動につながる危険性から沈黙して塩漬けにしてますが、いずれ記事にして皆に笑ってもらうつもり。

■Kさんといえば、雑誌TMS(鉄道模型趣味)を読んでいるみなさんには、わざわざ紹介する必要の無い有名なモデラーであると同時に、若い頃にあちらこちらの軽便を記録し木曽の濁川助六谷などの最奥部へ何度も足を踏み入れたことでも知られています。

■下の娘は偶然にも金沢の大学に進学することになりましたが、同じ時期に残念ながら自分は病気で動けない状態に。手紙で娘のことをお知らせすると、とても喜んでいただいたのが昨日のことのよう。
■「早く良くなるように」と元気づけに何度もいただいた木曽の写真のコピーなどを見ながら、ベットの上で感謝の気持ちで一杯になり涙を流していました。

■前置きが長くなりましたが、ついに金沢はKさんちへ行ったぞ!

■2時間半くらいの訪問でしたが、何年間もの思いを何からどのようにKさんと話をして良いのか解らす、あっという間に家族と約束している夕食の時刻が来て、後ろ髪をひかれながらお別れしました。
 結局、とりとめのないお話の中で、何をどのようにブログに落したらよいか、まとめるのが難しいし、書いてはいいのかまずいのかの判断がつきかねるお話もあります。概して、そういう話ほど面白いのが世の常だけれど・・(笑)

■お話、当然のことながら飽きなかったですね。何度も書きますが「面白かった!」。ともかく屋根裏に展開する個人としては日本最大級のサイズのNゲージ・レイアウト「新諸国鉄道」のことから。

いざ階段へ!


■何度もTMSコンペで入賞しているNゲージの大レイアウト新諸国鉄道は着工が昭和50年。その3年前の昭和47年秋からプランを考え始めたというから40年の歳月を経ています。そして、まだ空いたスペースを残して未完成です。「レイアウトも私も40歳」と社主であるKさんは微笑みかける。これ「まだまだ若いもんには負けん、作るぞ!」と解釈!


■長い間、恋い焦がれた鉄道を初めて訪ねて興奮しているので、シーンに見とれてカメラを構えていると、あらかじめ「気をつけて」と注意されていたのに、夢中になり二度も梁に頭をぶつけてしまいました。

■こういう「小技」もあちらこちらに。

■残ったスペースとコンペの入賞の楯が並ぶ。格好いい!


■TMS(鉄道模型趣味)の記事をお読みの方はおわかりでしょうが、Nゲージレイアウトで実際、走行している列車も「雷鳥」とか「しらさぎ」とか北陸の長編成の列車。ところがシーナリーは木曽谷の森林鉄道のナローゲージ・シーン。1/150になった分、さらにボリュームが増えマッシブな岩山や谷になり、雄大な景色が実現した。という点が大きなポイントであり魅力と感じましたが・・。

助六谷に至る鯎(うぐい)川線の「樽ヶ沢橋梁」「八丁暗がり」180°ターンをそれらしく写真に収めてみた。

■「中之澤橋梁」だってある。

■木曽のシーナリーを、ナローゲージ・レイアウトではなく、なぜにNゲージ・レイアウトにという疑問が湧きますが、古くからのTMS読者ならば「9mmナロー」と呼ばれていた時代の林鉄レイアウトの嚆矢もまたKさんの手になるものだったことを想い起されるでしょう。

■木曽谷を飛び越えて、まるでコロラドの天空に届きそうな鉄道の幻影の中を、何らの不自然さも無くNゲージの長編成列車が駆け抜ける。
 サイズの大きいリアル・シーナリーに傾く最近のNゲージ・シーンもすごいけれども、この模型世界は紛れもな「Kさんが見てきた、乗ってきた体験と想像力」が生み出したものと感じることができるのである。

■それとKATOやTOMIXNゲージの車両は、憎たらしいほど快調に走る。

■今は多少改善されているがナローの車両を快調に走らせる調整には、それなりの技量が必要である。自作品やキット組立品に至っては何をかいわんやである。このシーナリーとNゲージ車両の組み合わせは、ある意味「選択的・合理的」かもしれません。

■基本的にポイントにマシンをつけていないのもトラブルを避けて、長く楽しめる理由のひとつになっている。電気的トラブルに悩まされ動かすことができなくなったうちのレイアウトとは大違いである。

■このNゲージカタルシスを感じると「ナローの模型をほっぽり出して、もう一回Nゲージやろうか!」とアブない誘惑に付き纏われた。

■Kさんが映像に収めてきたもの、それは無くなる直前のあちらこちらの軽便鉄道、台湾の阿里山・・、中でも木曽谷へは20回以上足を運んで撮影行。圧倒的なカラー写真の枚数は最近改訂された西さんの「木曽谷の森林鉄道」(※下)のページをめくったことのある人ならお解りでしょう。

そこいらへんの「おいしい話」はまたの機会に稿を改めて。

木曽谷の森林鉄道

木曽谷の森林鉄道