修羅の日記(公開試運転中)

ダイアリーから移転しました

北勢線山田川橋梁

■療養に努めていたこともあり、ブログ更新にずいぶん間が空いてしまいました。
北勢線楚原〜麻生田、山田川橋梁です。径間長 43.3mと北勢線で2番目に大きい橋ですが、かつて日本に存在した軽便鉄道の中でも橋脚が6つもあり、大きな方の部類に入る橋だと思います。
上流の橋からカメラを構えると鈴鹿の山が橋の後ろにすこっと美しく収めることができるのも、員弁川までの間が水田だけで建物が無いおかげです。












■橋の両側とも堤防が道路となって車の通行が可能ですが、御覧のように普通車でぎりぎり、大き目のワンボックス車だと桁にひっからないか不安になるほど。

■地元の人は員弁街道の抜け道で利用するので意外に交通量が多くてびっくり!
慣れている人はためらいもなくスピードを出して抜けていくのにもびっくりします。

■カメラ持ってうろうろする鉄ちゃんは邪魔とばかりの車の動き。僕みたいにボケっとしているとクラクション鳴らされるよ。

■この橋の桁ですが、形としてはデッキガーダー橋に近いのですが、「鉄道構造物探見」(小野田滋著:JTBキャンブックス)によれば「I(アイ)ビーム」と呼ぶようです。I型の鋼材を溶接で単純に井桁に組んだだけのようで、推測としては別な橋梁製作会社で組んだのではなく、地元の鍛冶屋が作ったか、鉄道が自ら作ったのではないかと考えるところです。

■Iビームには錆びて判読しにくいのですが下の写真(U氏撮影)のようなプレートが付けてありました。「昭和拾五年架設」「北勢電氣鉄道」と読めます。(※残念ながら2012年現在は取り外されてありません。

■下右は開業当初の北勢鉄道の山田川橋梁の様子。桁も木製で樹種は不明ですが、相当太くて立派な角材が組み合わされています。尾小屋鉄道(石川県小松市)では、これとほぼ同じ組み方の木製の桁が、鉄道が廃止される1977年(昭和52年)まで使われていた姿を見ることができましたが、北勢線の場合は電化した後に、Iビームの鋼材に架け替えられたようです。

■木製の桁をそのままのサイズでうまく鋼材に並べ替えたようなのが、「模型屋」としては実に興味深いのですが、ついでに橋脚も元々は花崗岩の石積みと思うのですが、今は表面にモルタルが塗られています。6つある橋脚の下部断面は御覧のように流れに合わせて舟形に尖っています。

■橋の話で尾小屋鉄道を引っ張りだしましたが、ご存知の通り、尾小屋鉄道には北勢電気鉄道から2両の木造の客車が移籍していました。半鋼体化・Hゴム窓化された尾小屋鉄道ホハフ7と8は今も保存されているそうです。

■前から文通で懇意にしていただき、木曽谷森林鉄道の写真などをお借りしている金沢在住の先輩モデラーKさんから、この間、尾小屋の廃線跡の写真を送っていただきました。手紙の文面に書いてあるわけではありませんが「はよ元気になっておいで」とのメッセージのようで、その暖かさにとても感謝しています。尾小屋のホハフも観たいしねー。ついでに金沢の娘にも会わないと(笑)

■尾小屋の話は以下のRMライブラリーと機芸社「ナローゲージモデリング」を参考にしました。
RMライブラリー「尾小屋鉄道」寺田裕一

尾小屋鉄道 (RM LIBRARY 116)

尾小屋鉄道 (RM LIBRARY 116)

JTBキャンブックス「鉄道構造物探見」小野田滋

鉄道構造物探見 JTBキャンブックス

鉄道構造物探見 JTBキャンブックス