修羅の日記(公開試運転中)

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大コン9200とHOj(1/87、12mm)の模型 【1】

■ついこの間まで、NHKで3年に渡って司馬遼太郎坂の上の雲」のドラマが放映され、ドラマの時代である日露戦争前後の頃の日本に、自分と同じように改めて関心をもたれた方も多いのではないでしょうか。この時代、日露戦争のために大陸に投入された機関車といえば、英・独・米に大量に発注され大陸へ次々と送られたB6、2120形(「回想、B6・・」へリンク)とともに、重量貨物用としてアメリカ・ボールドウィン社に50輌もの台数が発注されたF2型こと9200型が挙げられます。

■模型はモデルワーゲン社が初めて世に送り出したHOj(1/87、12ミリ)の「上芦別の9200」。9200の晩年の姿を模型化しています。ちなみにモデルワーゲン社は今年2012年に創立20周年を迎えられたそうで、遅まきながらお祝い申し上げます!
■自分がキットを手に入れたのは発売から10年近くが経ってから。上手な組立ではなく、結局、画像のように未塗装仕掛りのままなのは、譲っていただいた方にも誠に申し訳ない限りです。

■模型は時代設定や縮尺に正確に忠実にというだけではなく、製品の送り手が実物に対して掴んだ印象と、それを模型に落すセンスが大切で、そのセンスを感じながら、キットを組むのはとても楽しいものです。

■Rail Magazine誌108号(1992年9月号)には実物の写真も併せて「けむりプロ」の名でシンガー・フィニッシュ仕様の組立記事が掲載されています。この記事で目にするのは、今見ても心を動かされる素晴らしい模型です。「パイピング径が細すぎる」「ボイラーの高さが違う」とか少々、辛口のコメントもあるのですが、記事全体としてはキットの送り手への返信や応援のように優しい気持ちが、自分には伝わってきて、とても興味深い内容になっています。

■ところで自分は「ナローゲージモデラー」であり、この9200も見慣れたアメリカ型HOn3(1/87、10.5mm)のコロラド・ナローの模型と同じように捉えて錯覚してしまいそうになりますが、このことをTwitterに書いたところ、Uさんがコメントを寄せていただき、お許しを得て、下のようにまとめさせていただきました。(前に書いたように自分は1970年ころに一度、模型趣味をやめていますのでNゲージナローゲージ模型の興隆・発展の時代について詳しくは知りません。)

■『もともと1/87 12ミリの最初の発想というのは、TMS200号(昭和40年)で赤井哲朗氏がその可能性に言及しています。「特に古典機や北海道の炭鉱鉄道の車輌など日本型もナローとしてとらえる」というところからスタートしています。乗工社の母体となった87分署はダックスストーリーの最終回でHOn3-1/2について言及しています。』

 『また87分署はさーくる軽+けむりプロですが、そのけむりプロは「ナロー・ゲージ・イン・ザ・ロッキーズ」に多大な影響を受けている訳です(元祖「黒石病」?)。乱暴に言えば、けむり/87pr.の中ではコロラド=メイン=北海道だったのかも(ダックスストーリーが「石狩軽便」であった事に着目)。 だから、1/80ではダメで1/87でなければならなかったのかも。つまり、ごく初期(商業化される前)の1/87-12mmはHOn3の変形と言えるかもしれません。』

■成長した今の1/87、12ミリの模型を前にして大きな声で「ナローの模型だ!」とはさすがに言うことは難しいのですが、生まれたのはアメリカ型3フィート・ナローと似ている機関車を使った北海道の鉄道の模型の中からではないか、というお話です。
 なおコメントの中で「黒石病」というのは、前にも触れましたがBlackstoneというメーカーが出している、比較的安い値段で手に入り、しかも良くできたHOn3(1/87 10.5mm)のコロラド・ナローの模型製品が日本でも評判になっており、それをまるでインフルエンザの流行のように例えたことばです(笑)。

■なぜ「ナローの模型」とは言いにくいように9200より後の日本の蒸気機関車のスタイルが変化していったのか?の疑問についてはHOj(1/87、12ミリ)ゲージとHOn3(1/87.10.5ミリ)の模型の比較などを通じて「つづき」の中で書くことにして、ここではUさんが指摘されているナローらしかった北海道の蒸気機関車の話に少しだけ触れさせていただきます。

■実物の9200は鉄道局形式F2、結局、日露戦争には間に合いませんでしたが30両が満州で復員・復興輸送に従事、その後帰国した機関車は奥羽本線板谷峠などを経て晩年は北海道に集結。私鉄に譲渡されたものは上芦別で1960年代前半まで現役で働いていたことで有名になりました。(ネコ・パブリッシング社「日本の蒸気機関車」による)

■9200型(F2)の大量発注前には、9000や9030、9050(いずれも鉄道国有化後の形式名)など主に北海道の炭鉱鉄道で使われた同じくボールドウィン社(BLW社)のコンソリデーション・クラス(軸配置。○○○○、 2-8-0)が存在し、これらのスタイルはキャブの位置が超低くなるなど、さらに3フィート・ナローに似たスタイルとなっています。

■ちなみに9200は「ダイコン」と呼ばれていますが、「姿・形が大根に似ている」からではなく、9030あたりを「小コン」(小さいコンソリデーション)と比較して「大コン」と呼ばれています。

■御承知のように北海道の鉄道は、機関車だけでなく、貨車も、レールも、建物など鉄道施設もアメリカからそのまま持ってきたようなスタイルの車両や設備で生まれます。弁慶号で知られる7100型もポーター製のモーガル(軸配置。○○○、2-6-0)。
■画像は旧小樽交通記念館、現小樽市総合博物館で撮影した、導入当時のとても「アメリカン」な姿に復元されているポーター社製モーガルの7100「しずか号」。

■同じく旧小樽市交通記念館の展示物「手宮高架桟橋」。この施設はまるでアメリカの五大湖周辺のDM&IR(ダルース・メサビ・アンド・アイアン・レンジ)鉄道あたりからそのまま引っ越してきたような木造構造物。きっと大コン9200や中コン、小コンたちがセキを牽いてこの上を行き来したのではないかと、その姿を想像すると、「いつかその情景を!」などとモデラー魂に火が付きそうになります。(たぶん無理でしょうけれど)

■機芸出版社「陸蒸気からひかりまで」(片野正巳・赤井哲朗著 初版発行は何と1965年!)は日本の古典蒸気機関車の魅力を味のあるペン画で伝えてくれますが、片野さんが描かれた「1号機関車からC63まで」も9200形をはじめとする日本の古典機を知って楽しめる本です。「陸蒸気・・」でときめいた「山陽鉄道」や「或る列車」のように列車単位で片野さんの絵がみたいな。

1号機関車からC63まで―細密イラストで綴る日本の蒸気機関車史 (NEKO MOOK 1197)

1号機関車からC63まで―細密イラストで綴る日本の蒸気機関車史 (NEKO MOOK 1197)

【つづく】