修羅の日記(公開試運転中)

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TMS1月号を読む 〜 14歳が1969年に見たレイアウトの夢

■「えー!!新年特別号。どうも時期が早いな。」などといいながら、本棚から鉄道模型趣味を取り出して読んでみた。記事は「レイアウト建設記」「キハ82系の組立」「9mmゲージ自作蒸機」か、DD50はNゲージと間違いそうだけれど16番自作だな?。
 さて、その1月号ですが、表紙には「新年特別号」とあり、レイアウトの鉄橋をDD50が渡っている写真。このレイアウトは雲竜寺鉄道ではないですか! 表紙をめくるとグラフ欄に9ミリゲージ自作蒸機とナローの沼尻DC12が。このDC12はワーゲンともワールドとも違う品のようでね。ゲージは10.5mm???
・・あれれーあれれ、これは1月号は1月号でも、40数年前の1969年1月号ではありませんか!
 なんて書きだしは「軽便鉄模アンテナ」の二番煎じ、三番煎じではありますが、Uさんまたもや引き合いに出してすいません。お許しください。
■あの時の空気を例えると、レイアウト、レイアウトって暑くて外で叫んで、この対談で、いつも連想するのはゴッホの絵「夜のカフェテラス」です。Nゲージの盛り上がり前夜に「暑くて夜中に表で、何が何でもレイアウトって叫んでいる感じ」こんなもんで完全に洗脳された自分。
それにしてもこの新年特別号に掲載されている対談は、当時一世を風靡した車のデザイナーが語るだけにデザインの話はとても印象的で、当時意味がわからなかった煙草のピースの包装デザインがペンシルバニア鉄道の機関車もデザインしたレイモンド・ローウィだったこととか、今、読み返しても相当ハイレベルなものでした。
■1969年新年特別号内容に触れた軽便鉄模アンテナ記事:http://d.hatena.ne.jp/keuka/20100101/1262363835

■対談記事の中でU氏も指摘していますが、一番印象的なのは木村さんがエガーバーンを使ってマイワールドを作るぞという部分。この言葉にぐっときてしまいました。といってもエガーバーンは手に入らないし、木村さんと同じ世界を作ってもしょうがない。自分の当時の認識としては、「レイアウト」とは自分の世界を鉄道模型を使って表現する媒体(メディア)だ、ということだったように思います。
■自分はこの後の鉄道模型の展開を原体験できなかったのですが、Nゲージでレイアウトを作り自分の好きな鉄道世界を製作したり、マイワールドを1/87で見せてくれて「夢」を売ってくれた乗工社の出現など山崎さんらTMSのスタッフが仕掛けた花火は次々にうちあがったように感じます。
■エガーの製品は木村さんのようなデザイナーにもレイアウトの夢を心に抱かせるに十分な製品だったのでしょうが、この数年後の乗工社製品で夢を形にした人も多かったのですね。例えばミニランドシリーズはD&RGW鉄道などの車両を元にデフォルメされて独特の世界観を持っていると感じるのですが、それが海外での営業に結び付いたかどうかは「むらむら」のコメント欄でのTさんのご指摘通りです。製品に共感することができれば、たとえ、それがスケール通りでない部分であってもデザイン的なバランスを優先すること自体は悪くないと自分は思いますが、あくまで模型のあり方として邪道と感じる人も多いかもしれません。でも「マイワールドの夢」を売ったJoe Worksのいき方は今も多くの人に支持されているということではないでしょうか。

■振り返って1969年、当時中学2年の自分はこんなものを作っていました。久しぶりにカツミのキハ82でも見たくて段ボールを開けると「仕掛品」がたくさん。友達のお父さんが四日市レイル・ファン・クラブの一員で友達の家で道具を借りながらハンダ付けして作ったDD50の上回り。錆だらけなのでハイホーム(S.Fさんに教えていただいた研磨剤。カチンカチンに固まっていましたが水を加えるとまだ大丈夫、使えます)で磨くと光ってくれました。どちらかというと「恥ずかしい模型」ですね。
雲龍寺鉄道の記事は特集シリーズ「レイアウト・テクニック」で読めるわけですが、今をもってしてもレイアウトの製作記事として完璧なできだと思います。一端のモデラーとしても触発されない方がおかしい、大きな影響を与えてくれますが、1969年の世の中は安保改定の時期、学生運動の盛り上がり、それから翌年に大阪万博も控えていて騒然とした雰囲気。鉄道模型なんか落ち着いてやっていられなくなり、フォークギターをかき鳴らし歌ったり、ロックギターをグイーンと鳴らしてバンドをやる方が面白くなってしまいました。
■当時の鉄道関係の雑誌は、「レイアウト全書」とこの新年特別号を含む1969年のTMSだけバインダーに綴じられて残っています。この後、木曽森林鉄道の記事やナローゲージ小特集、蒸気機関車のいる周辺などなど、今も記憶に残る記事が一杯、特別な一年でした。ちなみに自分が鉄道模型に手を染めていたのは前にB6の項で述べたように病気で入院した1968年の秋から高校進学を控えた1970年のお正月あたりまで純粋には2年くらいの履歴しかありません。ですが、レイアウトの夢に向かって熱病のようにおこずかいを注ぎこんで、作っていましたね。

【追記】久しぶりにもりこーさんのところ(モデルワーゲンのページ)を覗いたら、「よもやま話」の昨年12月の記事に並木成夫さんがお亡くなられたという記事が・・。DD50を作りたくなったのは雲龍寺鉄道もそうですが、TMSの並木さんの記事があったからで一次型・二次型の二つの表情が楽しめると思ったからです。また伝動方式などはシンプルで中学生でも「もしかすると真似して作れる。」と思ったからです。結局1ミリ厚の真鍮板から台車を切りだすところで挫折してしまいましたが・・。1969年あたりに並木さんが次々にTMSに発表されたディーゼル・ロコは決して今のようなディテールてんこ盛りの細密機関車ではありませんが、「とても味のある作品」だったような気がして、好きでした。ここで取り上げた1969年新年特別号のTMSには並木さんの「沼尻鉄道DC12ディーゼル機関車」(10.5mm)が掲載されています。知りませんでした。大幅に遅まきながら合掌。 (2011-12-20)