修羅の日記(公開試運転中)

ダイアリーから移転しました

尾小屋の保存機たち〜尾小屋鉱山資料館(石川県小松市) 

■ほとんど40歳に達しようかという年齢。女房も「マル高」でぽこっと生れ出た次女が早いもので大学4年になりました。金沢に送り出してからあっという間に時間が経った感じがします。
■年の離れた上の娘も転職することになり、これから家族揃ってゆっくり旅にでることも難しかろうということで、加賀温泉郷へ。

■大学の午後の授業に間に合うように小松駅まで送るついでに尾小屋鉱山資料館に立ち寄ることに。ここも前々から行きたかったところです。
■ところが後で考えれば尾小屋駅の位置もわかろうものですが、ナビ頼りで「本当に大丈夫だろうか」と「いけども、いけどもヤマ!」、意外に遠いなあ。午前中、女性陣の要望に応えてスイーツ、饅頭屋などに時間を費やしたこともあり焦る。焦ると精神的ストレスがかかり持病の背中の痛み出現、やばい状況。

■やっと着いたと思ったら、それまで小降りだった雨脚が急に強くなり泣きたくなりました。いつもなら時間かけて撮影するところですが、やる気がなくなり、時間も迫っていたため泣く泣く時間切れ。ということで、ロクな写真がなく、フォトショップでコテコテにいじり倒した画像ばかりですが、保存機アップします。




■5号機。煙室の扉が開けたままだったので閉めた。なぜ閉め方がわかるのだろう!?思い出せばそういや、この方式のカマのハンドルをいじったことが昔ある。昭和44年ごろの亀山機関区のD51


立山重工製といえば梅小路にB20があるが、わりに新しい蒸機だから、キャブ周りや駆動系・操作系も、ボールドウィンやコッペルなど他のナローの機関車よりも日本の近代的蒸機の趣に近い。特にごっつい形のインジェクターや焚口戸の形にそれがみてとれる。

■中に挟まったキハ3。オリジナルの遠州鉄道色、ブドウ色に塗り替えされて落ち着いた感じがします。それにしてもキャブってこんなに簡素なものだったのかと驚く。「大丈夫かあ、こんなんで!?」窓ガラスもでかくてこちらも別な意味で近代的な味。室内が非常に良く見えます。

■遠鉄マーク。

■クラシカルなデッキのついたハフ1。これが北陸鉄道系列の尾小屋カラー。

■何かの偶然に近いのだが北陸鉄道には縁がある。生粋の名鉄マンだった義理の妹の父が系列の北陸鉄道の役員を務め長く金沢に在住していた。自分も何かと仕事や社員旅行で金沢には出かけていたが、娘が金沢に進学するとは、まさか考えていなかった。4年間の大学生活や住み心地は悪くなかったようだが、やはり北陸独特の重い雪と湿気の多さは太平洋側の三重県とは全く違うようだ。

■そういえばKさんから尾小屋鉄道最後の日の8ミリ映像をいただいていて(昔、NGJで頒布されたものと同じです。)それをみると最後の日も「なごり雪」が映りこみ。より感傷的な画になっている。

■新幹線の金沢延伸はさらに大きく街の姿を変えていくような気がする。
北陸鉄道もすでに鉄道からバス事業などに軸足が移っているが、どう変わるだろうねー。自分ら趣味人の感覚は一般のビジネスの感覚からずれてることを自覚。出る幕無しかもしれん。

■これを書くにあたって、またもや機芸社「ナローゲージモデリング」を引っ張り出して阿部敏幸氏の詳細な記事を読んでいて思い出した。ごめんなさい阿部さん、「そうだ寅さん!マドンナ吉永小百合!」。あの寅さんが居眠りしていた金平駅の跡に行ってみたかった。

■雨で撮影も不調だったし、体の調子よい時に、もう一度誰かに付き合ってもらって行かなきゃなー。本当に「なごり雪」ならぬ「なごり惜しい夏の尾小屋鉄道」だよ。

【追記】文中にあるKさんの8ミリ映像から、雪を巻き上げながら走るお別れの日のキハ3。

■尾小屋鉄道の営業最終日は1977年3月19日。RMライブラリー「尾小屋鉄道」には著者寺田裕一さんの高校のクラブが持参した手作りのヘッドマークのことが書かれており興味深い。

尾小屋鉄道 (RM LIBRARY 116)

尾小屋鉄道 (RM LIBRARY 116)

ゆりの花と中遠バグナル〜静岡県袋井市

■主に体調不良が原因でまた2か月も編集をぶっとばしてしまいました。
暑い日が続きますがいかがお過ごしですか。

■5月にはこどもの車の運転の練習を兼ねて、富山でチューリップを見て黒部峡谷鉄道地鉄、そして金沢でまたKさん宅に立ち寄り、城端駅・五箇山経由で帰ってきたことも、まとめておりません。忘れています。また温泉に入りに行こうと家族が言っていますから次のを書く前にまとめてブログに書きたいところではあります。

■まずは書きやすい先月の話題からというところから。テレビで「袋井インター5分のゆり園」のCMが流れていたので女房と「可睡ゆり園」というところへ行きました。徳川家康ゆかりの可睡斎という名刹の隣にあり本数も圧倒的で、CMどおりに東名高速からアクセスしやすいところでした。当日はフォトコンもやっているので、高価な一眼レフのレンズの砲列をかいくぐり、キャノン・コンデジでマクロ撮影。

■ゆりは色気のある花ですなー。

■揚げたての「ユリ根のてんぷら」に可睡斎ではゆりの精進料理セットで寺院内見学といい旅をしてまいりましたが、平日があの勢いでしたから、土日はどうなるのやら、ゆっくりカメラ構えていられるだろうかなどと、やや心配な感じ。

■静岡といえば「駿遠線」。軽便のくせにまるで大私鉄のような長い路線をもって全貌がとらえにくい鉄道の一つです。全く知らなかったのですが、高山市在住「くるまや鉄道」さんが前にお住まいになって詳しいので実物よりもくるまやさんの模型から「駿遠線」のことを知った感じですねー。▽くるまや軽便鉄道 http://hiratakm.wordpress.com/

■ゆり園と東海道線を挟んで向こうの袋井駅から駿遠線が伸びていました。袋井市教育委員会が駿遠線の歴史によるまちづくりに力を入れていて、遊歩道が整備されています。
■浅羽という駅は、一面一線の簡易なホームだけの駅だったようですが、ここの浅羽公園というところでバグナルのレプリカが展示されています。

■復元されているのは駿遠線の前身にあたる中遠鉄道(新袋井〜新三俣間)が開業時に導入した英国バグナル製のBサイドタンク機(1913年製)で、現車は同形4輌の仲間すべてが静岡鉄道に引き継がれ、当地で生涯を終えているそうです。

■いやキャブが泣かせる。気に入った!!これを「ガキのおもちゃ」だけにしておくのはもったいない。汽笛を鳴らすと電子音が!女房は完全に呆れ顔していましたが、袋井市のホンキ度はよく伝わってくる。某市なら予算要求の前の段階でつぶされだろうなあ(ぼやき)内部・八王子、良いところは参考にしたまえ!。

■公園併設の郷土資料館の清掃をしていた同年代の人に「中の案内も見ていってください。」と声をかけられて地元のみなさんで作られた手作りの駿遠線コーナーも拝見。

■駿遠線の延伸が演出されている、この建物。近藤記念館と郷土資料館の二つの建物でできています。記念館は浅羽出身の個人の寄付で造られています。

参考【浅羽記念公園・近藤記念館】
袋井市教育委員会歴史文化館 http://fukuroi-rekishi.com/

体よ動け!

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■薬を減らしながら背中と胸の筋肉の復活を図っていますが、なかなかうまくいきません。

■こんな状態でもわりに車の運転ってできるのですよ。初心者マークの娘と交代しながら日本海魚津へ。蜃気楼は見えませんでしたが、この北アルプス黒部の空気感は独特でした。

■自分にとって一番問題なのは、筋肉ができてこないので、肩から胸の骨がごつごつ触れて音を出すこと。時折呼吸が苦しくなること。これ何年もずっとそうなのです。

■ここでは詳しく書きませんがこういう状態に何週間で一気にすすみました。大病院で病気治療のための投薬で、急に筋肉が落ちていくので尿検査したら「筋溶解」という恐ろしいことになったため。悪くなるのは「あっという間」治すのは「何年かかり」。

■今まで2年お世話になった中国人整体師は筋肉ができてこないので、施術がうまくいかず、いらいらしてましたし、この間みせた整体師は「骨が浮いてますねー」と一時的に楽になっても治すのは難しいと匙を投げました。

■大病院へは行きたくないし、手詰まり。どうもこの気圧の低くなることの多いこの季節。体の状態はいけませんなーー。朝のウォーキングがかなり辛くなってきた。

 

みどりの日(4月29日)から届いた手紙

天皇誕生日だった4月29日の祝日は、平成以降「みどりの日」になり現在は「昭和の日」として昭和という時代にちなんだ祝日になっています。昭和の日に「明治」の話とはなんぞやですが・・。

博物館明治村(愛知県犬山市)から思いがけず手紙が2通届きました。宛名は2通とも僕の名前になっています。女房ともども思い当たる節がない。

■やや拙い宛名の筆跡に、だんだん記憶が蘇ってきました。これは明治村にある宇治山田郵便局で連れて行った二人の娘が書いたもの。10年後に届くという手紙、二人が「10年後の自分」に宛てて書いた手紙なのです。

■宛名が僕の名前になっていたのは多分、あの時、係の人が10年後、手紙が届くようにできるだけ世帯主にしていた方が良い、というアドバイスに従ったような記憶がありますが、娘ひとりは金沢ですが二人とも苗字も変わっていませんから、結果的には大丈夫だったネ。

■この手紙のサービスは明治村によって現在も続けられています。
 ●はあとふるレター  http://www.meijimura.com/enjoy/experience/letter/

■特に小学生の娘が書いた「友達」についての話題は涙が出そうなぐらい優しい気持ちに溢れていて、就活で精神的に疲れている今の娘には新鮮なものかもしれません。とても良い企画でぜひ続けて欲しいですね。正直、親としては10年健やかに成長してくれただけでもありがたい。

■10年前の4月29日の写真が残されています。女房は店があり休日ではないので3人だけ。木造教会の隣で女房が用意してくれた「おにぎり弁当」を開けている写真とか、何枚かの娘たちの記念写真が残されていますが、その数倍の枚数の「蒸機の写真」!

■娘のためだけでなく自分のための明治村の休日でもありました。

■まずはポニートラスに寄り添って展示されている尾西鉄道1号機関車。珍しい軸配置2B1でテンダー機関車では日本鉄道が満を持してボールドウィン社に製作させたBbt2/5(官鉄後の形式6600)が有名です。速度重視の軸配置で「アトランティック」と呼ばれています。古典機ファンは「アトラン」と略して呼ぶことが多いようです。が、日鉄のアトランは火室の面積を広げるために従輪を設けたようですが、この機関車はタンク機でそのような豪快さはありません。2B1tという軸配置は軽快な感じはしますが使い勝手がよかったかどうかは疑問です。

■特徴的な軸配置をとらえるには横から撮影すべきでしょうが、たしかスタンスが取れなかったか、ステップが邪魔だったか残念ながら写真がありません。

尾西鉄道の1号機関車は、明治30年(1897)米ブルックス社(Brooks Locomotive Works)製なのですが、ブルックスの機関車自体が珍しいかもしれません。なにせアメリカ製機関車といえばBLW(ボールドウィン)やALCO(アメリカンロコモティブ)が席巻していた時代ですから。

■この会社の車体は曲線的なデザインなど他の米国製とは一味違うのですが。弁装置は複雑なわけでもないシリンダー周りで、蒸機室の横に「BROOKS」とネームが浮彫りになっていたり、蓋を留めているボルトが凝った複雑な形をしていて「模型にしにくいだろうなー」と当時感じたことを思い出した。

■それにしても明治時代にご近所さんの弥富や津島近辺をこういう変わった機関車がうろうろしていただものね。楽しいじゃない。


【この写真と下の12号機は2003年6月家元氏撮影】

明治村の乗り物のハイライトといえば、明治時代の本物の古典蒸機機関車や御覧の京都市電なわけですが、補修や人材育成など費用がかかるために明治村を運営する名古屋鉄道も苦戦しているようで、運休に追い込まれていた時期がありました。

■英国シャープスチュアート製の12号機が1年半前に復帰してくれていますが、この機関車は明治7年(1874年)製、新橋ー横浜間に日本初の鉄道が開通した1872年、大宮の1号機関車と2年しか違わないわけで車齢140年!!それが動いていること自体奇跡的なのかもしれません。

■特にボイラーは有名な大阪のサッパボイラーで補修されたようですが、膨張・収縮を繰り返す煙管などをちゃんと機能させること自体が職人技なのでしょうねー。下はテレビのニュース番組の記録からですが、ボイラー全体が熱で膨張すると車輪と当たるという悩ましさは想像以上でしょうね。

■10年前に娘たちと明治村で乗った列車は12号機では無く、1917年米国ボールドウィン(以下BLW)社製の9号機でした。

■BLW製らしいサイドタンクなど同時期のナローの機関車とも共通する味がたまらない機関車で、日本鋼管鶴見で働いていた機関車ですが、間延びしていない動輪の間隔とか形態的にバランスの良い機関車です。

■円形のボールドウィンの製造名盤の番号は#37944。シリンダーブロックの蒸気室につけられた銘板は輸入代理店フレーザー商会のものです。この辺も見どころですね。フレーザー商会の営業力なのかボールドウィンの機関車は一大勢力。以前書いたようにあちこちの私鉄を国有化した後に日本の鉄道がドイツ流メソッドに傾斜していく前の話です。

■12号機だけではなく、こちらも元気な姿が見たいところです(okuさん)。まったく同感。

■10年前は外で弁当広げて、3人とも春の日射しで日焼けするくらいの良い天気でしたが、本日は雨。しかもこれから大雨に注意などという荒天です。

 

「特殊」ではないナローゲージになじむ日

■なんと「霊柩電車」でTadさんやrailtruckさんと久々に盛り上がってから2か月近くたっているではないか。過去を分析するなら、ブログやツイッターに熱が入らない時はあまり体調もよくない時と相関関係がありますね。本当に療養生活が長くなってしまいました。

■「病気を苦にして・・」というニュースを聞くたびに家族やお友達の存在をありがたく思います。そして何より趣味というか、何かを考える時間があるということが、いかに有難いか。病気になってみて初めて知るものです。

■最近、内部・八王子線の話題とかが取り上げられるのでアンテナU氏が「特殊狭軌線」なることばがあちらこちらでさもナローゲージの日本語訳のように扱われることに警鐘を鳴らしています。

 ●軽便鉄模アンテナ「『特殊狭軌』は近鉄用語です。」
  http://d.hatena.ne.jp/keuka/20140420/1397965125

■画像「特殊狭軌線時代の北勢線」(笑)

■全くもって書かれている通りで「特殊」という用語は近鉄の中で機材A、機材Bという風に分類するようなもので、社外の人があまり使わないほうがよろしい。僕自身は「特殊」ということばの響きにはなにやら差別的な厭らしささえ覚えます。

■ただナローモデラー仲間では「俺らは特殊な日陰者・・」などと自虐的にtwitterに書いていますが、これは「俺がやっていうのは、誰もがやっている普通のものじゃないぜ!」という「自慢」のニュアンスも含まれていますから、決して額面通りに受け取ってはいけません(笑)。

■ということで、大体近鉄のゲージが1435ミリといっても、旧国鉄の1067ミリの車両より車体の幅が広いわけでもないし、新幹線のように世界の標準的な大きさの車体断面を持っているわけでもない。
軽便鉄道で採用されている762ミリ軌道があまり特殊とも思えませんな。

■ちなみに三岐鉄道北勢線を「特殊狭軌線」などと表現していません。妥当だと思います。

■療養で温泉などを利用するようになってから毎日のように体重計に載るのですが、病気が進行していた時に65キロまで落ちたり、そのあとは体重が78キロくらいまで増えて、また御覧のように76.25という数字に戻りました。自分としては大体これくらいが「適当」な線なのですが、健康診断では、これでもメタボ判定なのですよねー病気が悪化した時に「標準」と言われたのには驚きます。やはりおかしい「メタボ」の基準。

■762をキープしたいところです。Twtterでは3フィート(914.4ミリ)に近づいている人もいるみたいですし、2フィート(610ミリ)あたりの人も、さすがに国鉄1067ミリはおらんやろー??ナロー仲間にさあ。

■再掲で特に意味ありませんが。きのう洗車してPMなんとかやら花粉やらディーゼル粉かブレーキ粉がたまりまくっていた愛車がピカピカになったので・・。3月31日に154円で満タンにしたガソリンは昨日は一気に163円に上がっていました。安ハイブリット車(「コスパの高い」とみんカラ仲間は表現しますが)は分相応です。)ただプリウスが近づいてくると、ついアクセルを踏んでモーターのトルクの違い を楽しめるのは相変わらず。ナンバー晒すので(プリウス以外の人は)見かけたら、くれぐれもあおらないでくださいね。

■今日は星川駅でこんなものを買ってきました。北勢線100周年記念切符、なかなか味なことをやります。御覧のように計ったら、ピッタリ横762ミリ、縦は100周年にちなんで100みりでした。390円。買ったはいいけれど、部屋の中では持て余し気味です、折り曲げたくないし。一緒に写っているノートは200円でした。これさあ、あの人のデザインのような気がしないでもないなあ。

 【中日新聞三重版】
  ●線路幅「ナローきっぷ」 北勢線100周年記念 
 

中日新聞四日市支局のI記者。有難いことに、よく鉄道ネタを拾ってくれますねー。
仕事柄、昔はよく支局の記者の方とお付き合いがありましたが、先輩の方でもかなり鉄道ネタの好きな方がいらっしゃいましたよ。どうしているかなーあの人。


■新聞記事で紹介されていた桑名市中央図書館の「北勢線100周年コーナー」ものぞいてみました。ほとんどが地元の蒐集家の方のものだそうですが、小さいながらもうまくまとまっていました。昔の北勢線は女房の実家のある京町あたりまで伸びていたのだものねー。あの国道1号を堂々と横切ってね。たいしたものだよ。
写真撮影をお願いしてありがとうございました。こちらは残念ながら29日までです。

 【中日新聞三重版】
  ●懐かしの写真や切符 桑名で北勢線100周年展

■ということで、改めて言うまでもなく「ナローゲージの鉄道は地元の者にとっては決して『特殊』ではない身近な乗り物でございます。」(了)

お!霊柩電車!?

■おとといのことですが、病院の点滴から帰ってテレビをつけたらCBC中部日本放送)の夕方のニュース番組「イッポウ!」で名古屋市電の廃線跡のことを放送していた。

■この「イッポウ!」ってニュース番組、時々「廃線跡」の企画をブチかましてくれる。前には「三重交通松坂線」で貴重な奥田8ミリを流してくれたり、「朝熊山のロープウェイ」をやったり、マニア顔負けの内容なのである。ただこの時間帯なので、朝、新聞をきちんと読んでないと録画できなかったり、悔しい思いをする。

■で、面白そうなので途中からだが録画ボタンを押してみていると、これこれ↓

■「霊柩電車」だとー!!

■さらっと、すごいものを見てしまった感じ。話によると名古屋の有名な葬儀仏具のお店に残されている画だそう。真中が観音開きになってお棺を入れれるようになっている。

■主題は八事(やごと)への支線が伸びていたという廃線跡の探索で、先日RMライブラリー「名古屋市電」を出版された服部重敬さんも出演してマニアな話が展開するのだが、僕は「れ、れれ、れいきゅーでんしゃー」で頭の中がいっぱいになってしまった。

■なので、即Twitterに放送ででた絵を載せたら、3ftや2ftナローだけでなくパシフィック・エレクトリックやイリノイ・ターミナルセントラルなどにも造詣の深いTad氏から速攻でメール。ちょうど東京は大雪でこの時間でもたまたま家にいたらしい(笑)

■Tad氏によれば、彼の地にもFuneral Car(葬式電車)なるものが、あちらこちらで堂々と走っていたらしい。教えてくれたのは次のHP。復元されているので有名なものである。

http://www.oerm.org/collection/yellow-cars-la-railway/lary-descanso

■絵を拝借すると

■確かに横からお棺を入れるところがある。名古屋との違いはTad氏のご教示をこれも拝借すると、

『アチラのこの手の電車をFuneral Carと云うのは,その名の通り,この車内に棺を積みそこで葬儀を行ないながら墓地へと向うからで,単に棺と参列者を墓地まで送る「霊柩車」じゃないんで すね。「車内でセレモニーを行いながら」ってのがミソです。』

■電車の中に祭壇があって牧師が来て葬儀をやるのでっせ、葬儀を。「すげー」と思いつつさらにメールを読むと、

アメリカではStreet Car/Interurban Linesに結構あって,Chicago, Aurora &Elgin(イリノイのインタアーバン鉄道。エルジンは腕時計で有名なメーカーがあった場所)のがHOブラスモデル(日本製)で出てました。インポーター はSOHO。』

何、模型まであるのか。どっかに絵がないか探索中・・。

名古屋市電は放送の内容から想像するに、八事(東京でいえば青山みたいなところ)に棺と親族やもろもろを運んでいくためのもので、中で葬儀をやるものではなさそうですが、その独特の装飾といい、かなりの珍品。写真ががぜん見たくなりました。

■「イッポウ!」は真面目なニュース番組でCBCの看板みたいな番組ですが、廃線跡企画は夕方の時間帯じゃもったいない内容です。下の写真は「三重交通松坂線」で、これは動輪堂さんの予告で奥井さんの映像がでると事前に知っていたので録画できましたが、「名古屋市電」は残念ながら撮り逃がし。CBCのスタッフのみなさーん、お願いですから見逃した今までの分をどっかでまとめて放送してくれませんかー。

名古屋市電も地元だし勉強してみるかということで、服部重敬さんのRMライブラリー3冊をお金ができたら購入しようと思います。Tadさんには到底かないませんが私、路面も好きです。

名古屋市電(上)(RM LIBRARY 170)

名古屋市電(上)(RM LIBRARY 170)

名古屋市電(中)(RM LIBRARY 171)

名古屋市電(中)(RM LIBRARY 171)

名古屋市電(下) (RM LIBRARY 172)

名古屋市電(下) (RM LIBRARY 172)

 

《追加》
家にある本を探索するまでもなく railtruckさんから速攻で教えていただいたリンクを張っておきます

CA&Eの#109のモデルはSOHOカタログ1973年版
http://hoseeker.net/soho/sohoflier1973pg02.jpg

SOHOカタログの右下を拡大した画像。インターアーバンらしく立派な体躯のFuneral Carの車体がちゃんとあります。スプリングベルト・ドライブの日本製ブラスだぞー!
最後にFuneral Carの日本語訳ですが、文中「葬式電車」ではやや軽いし、Tad氏のご指摘通り名古屋の「霊柩電車」と区別して、「葬送電車」というのはどうでしょうか?

2014年初風呂と初鉄

■遅まきながら「みなさま新年おめでとうございます。」
今年も当ブログをよろしくお願いします。いつまで公開試運転中なのだというご批判はあろうかと思いますが、療養継続中。

■で、昨年夏ごろから身体の療養に活用している海津温泉に行って参りました。
最近、どうもお湯の色が茶色く無くなり泉質が柔らかくなった代わりに荒削りな感じが無くなったのは残念です。

■ところで2年通っていた整体院が移転・閉鎖。中国人先生、弟子をお国から呼ぶのに、狭いので別の場所で営業することになり一旦閉鎖。大変残念です。病院も整体も歩いて10分圏内というのが、いままで便利すぎたのかもしれません。
■ついでに歩いて10分なのに車で3分で通うという、うちら田舎人の感覚。
矢沢栄吉がキャロルのころ「そこまでタバコを買いにくのにベンツで行くぐらいビッグになってやる」と言っていたのを思い出しますな。そういうあんたは成り上がりの田舎者じゃねーかと思ったものですが、矢沢はそんなどころじゃなく見事にビッグに成り上がりました。

■いけね、また脱線してしまった。また海津の加藤クンに会いに行きました。

■この季節は樹の葉が落ちて見通しがきき卓上レイアウトのようだ。歴史民俗博物館の階段からズームするとまるで模型感覚ですね。「岐阜県マーク」が三重県の人間にはややダサい感じがしないでもないですが、それも味ですかね。

■もっと寄って、足だけ撮影。KATO WORKSの細々とした字体がクラシックな感じでたまらんです。また台枠の鋳鋼製らしい荒れた梨のような肌もたまらんです。
■と触っていると、ドアのところにこの間までは無かった凹みを発見!凹みの高さから誰かにパンチされたみたいです。誰だ!加藤君をいじめるな。

■帰りは多度(たど)周辺で国道の渋滞に・・正月休みが続いているみたいで車の動きがいつもと全然違う感じ。「多度神社」の初詣客とかちあったよう・・参拝する人が年々、増えていく感じがします。


■日本人はいつからこんなに信心深くなったのだろう。伊勢神宮なんかちょっと前まで土日でも宇治橋の横の駐車場にちょっと待てば入れたのに、今は平日でもたどりつくのが大変。だいたい新名神開通以来、東名阪で渋滞は毎日だもの。と新年早々ぼやく。
■自分は初詣は今年も地元の氏神様ですませました。

■では!改めまして「今年もよろしくお願いします」