修羅の日記(公開試運転中)

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尾小屋の保存機たち〜尾小屋鉱山資料館(石川県小松市) 

■ほとんど40歳に達しようかという年齢。女房も「マル高」でぽこっと生れ出た次女が早いもので大学4年になりました。金沢に送り出してからあっという間に時間が経った感じがします。
■年の離れた上の娘も転職することになり、これから家族揃ってゆっくり旅にでることも難しかろうということで、加賀温泉郷へ。

■大学の午後の授業に間に合うように小松駅まで送るついでに尾小屋鉱山資料館に立ち寄ることに。ここも前々から行きたかったところです。
■ところが後で考えれば尾小屋駅の位置もわかろうものですが、ナビ頼りで「本当に大丈夫だろうか」と「いけども、いけどもヤマ!」、意外に遠いなあ。午前中、女性陣の要望に応えてスイーツ、饅頭屋などに時間を費やしたこともあり焦る。焦ると精神的ストレスがかかり持病の背中の痛み出現、やばい状況。

■やっと着いたと思ったら、それまで小降りだった雨脚が急に強くなり泣きたくなりました。いつもなら時間かけて撮影するところですが、やる気がなくなり、時間も迫っていたため泣く泣く時間切れ。ということで、ロクな写真がなく、フォトショップでコテコテにいじり倒した画像ばかりですが、保存機アップします。




■5号機。煙室の扉が開けたままだったので閉めた。なぜ閉め方がわかるのだろう!?思い出せばそういや、この方式のカマのハンドルをいじったことが昔ある。昭和44年ごろの亀山機関区のD51


立山重工製といえば梅小路にB20があるが、わりに新しい蒸機だから、キャブ周りや駆動系・操作系も、ボールドウィンやコッペルなど他のナローの機関車よりも日本の近代的蒸機の趣に近い。特にごっつい形のインジェクターや焚口戸の形にそれがみてとれる。

■中に挟まったキハ3。オリジナルの遠州鉄道色、ブドウ色に塗り替えされて落ち着いた感じがします。それにしてもキャブってこんなに簡素なものだったのかと驚く。「大丈夫かあ、こんなんで!?」窓ガラスもでかくてこちらも別な意味で近代的な味。室内が非常に良く見えます。

■遠鉄マーク。

■クラシカルなデッキのついたハフ1。これが北陸鉄道系列の尾小屋カラー。

■何かの偶然に近いのだが北陸鉄道には縁がある。生粋の名鉄マンだった義理の妹の父が系列の北陸鉄道の役員を務め長く金沢に在住していた。自分も何かと仕事や社員旅行で金沢には出かけていたが、娘が金沢に進学するとは、まさか考えていなかった。4年間の大学生活や住み心地は悪くなかったようだが、やはり北陸独特の重い雪と湿気の多さは太平洋側の三重県とは全く違うようだ。

■そういえばKさんから尾小屋鉄道最後の日の8ミリ映像をいただいていて(昔、NGJで頒布されたものと同じです。)それをみると最後の日も「なごり雪」が映りこみ。より感傷的な画になっている。

■新幹線の金沢延伸はさらに大きく街の姿を変えていくような気がする。
北陸鉄道もすでに鉄道からバス事業などに軸足が移っているが、どう変わるだろうねー。自分ら趣味人の感覚は一般のビジネスの感覚からずれてることを自覚。出る幕無しかもしれん。

■これを書くにあたって、またもや機芸社「ナローゲージモデリング」を引っ張り出して阿部敏幸氏の詳細な記事を読んでいて思い出した。ごめんなさい阿部さん、「そうだ寅さん!マドンナ吉永小百合!」。あの寅さんが居眠りしていた金平駅の跡に行ってみたかった。

■雨で撮影も不調だったし、体の調子よい時に、もう一度誰かに付き合ってもらって行かなきゃなー。本当に「なごり雪」ならぬ「なごり惜しい夏の尾小屋鉄道」だよ。

【追記】文中にあるKさんの8ミリ映像から、雪を巻き上げながら走るお別れの日のキハ3。

■尾小屋鉄道の営業最終日は1977年3月19日。RMライブラリー「尾小屋鉄道」には著者寺田裕一さんの高校のクラブが持参した手作りのヘッドマークのことが書かれており興味深い。

尾小屋鉄道 (RM LIBRARY 116)

尾小屋鉄道 (RM LIBRARY 116)