修羅の日記(公開試運転中)

ダイアリーから移転しました

みなさまに感謝〜雪と北勢線、凸電の続き

■もう今年も残り少なくなりました。年の瀬でみなさんお忙しそうですね。みなさまがたには「修羅の日記」及びツィートにお付き合いいだたきまして、ありがとうございました。特にUさんやcjmさんに迎え入れていただいてブログまで立ち上げてしまい、誠に感謝の念に堪えません。またみなさんが多忙な中で模型を作る時間をやりくりして楽しんでいるさまがツィッターの記事を通して垣間見れて、それをライブに傍で眺めているようで、自分も時折口をはさんだり、「いつか楽しむぞ」とキットや模型、書籍を買い求めたり、それでけでも十分に楽しまさせていただいています。

■キットで模型を組み立てたり、線路を敷いたりしたくてたまらないのですが、正直言って今は細かい工作自体が、手が震えたり腕の筋肉を緊張させたりして、あまり身体によくない感じがして手を出していません。でも来年こそ何とか仕事もそうですが、鉄道模型にも、ギターにも触りたい、やりたい・・と「アームチェア」ならぬ「夢見るモデラー」(神戸のNさんに教わったことば。何もしないけれど前向きに聴こえるニュアンス)は強く願っています。

■ブログを始めてからも自分の病気は必ずしも軽くなったわけではありませんが、点滴や整体で痛みを和らげながら、頭はできるだけ楽しいことを思い描いて生活しています。一時、仕事に復帰できたものの、しばらくしてまた痛みや息切れが出て横になっていることが多い生活に戻ってしまいましたが、ブログに載せる目的で思い切って車で気分転換に出かけて北勢線の写真を撮ったりして楽しい気持ちになりました。模型鉄オンリーだったのでカメラの扱いは全然うまくなりませんが・・。

■画像は東員町の県道跨線橋の上から、雪の残る一昨日に撮ったもの。3年くらい前から例の眼鏡橋のところやここで定点観測のように頻繁に撮影をしています。鈴鹿の山々や田畑を背景に、橋の前後でS字状にクネった北勢線の電車を収めることができるポイントです。背後で白い三角に見える山は西藤原岳でセメント製造のための石灰石採取で山が削られたところ、列車がわたっている橋は、戸上川にかかるか細いデッキガーダー橋で、線路の右手の方は桜堤、春は菜の花と桜がきれいなところです。曲線のところは架線柱が多いのが難点ですが、御覧のように雄大な景色を眺めることのできる場所です。

■ただ運転して外へ出かけて歩いたりできるのは、今のところ残念ながら2,3時間くらいの短い時間。コスモスの撮影(ありゃ10月か)以来、雪の日で晴れたおとといも出かける時に気分は上々だったのですが、写真を撮った後に体調がよくなく昼に家へ帰ってから、すぐ横になってしまいました。好きなことでもこうなのは全くもって情けないです。

■短い時間なのですが気になった凸電の写真を撮影して、車で10分くらいで着く上の跨線橋で撮り、2,3分で近くの北大社の車庫にやってきました。北勢線の電車が目的ではなく、南野哲志さんの「徹底解説、三岐鉄道」で知ったあるものが、どうしても見たくてやってきました。何も雪が降った時に、こんなところに来なくてもよさそうなものですが・・。お目当ては↓これです。これ。






 

■見たかったのは北勢電気鉄道デ20(>三重交通デ71>近鉄デ45)B-B電機の「台車」!このようなコアなものまで、南野さんの本には「見どころ」として、ばっちりと案内されているのには「大したもの」と畏れいる次第です。

■この凸電も鉄道ピクトリアルの「凸型電気機関車の系譜」にリストアップされています。1931年に三菱/日本車両製造で2台作られ北勢線の砂利輸送に使われましたが、それが無くなった後は余剰となり晩年は北大社車庫で「機械」として入換に使われていました。台車はホイストクレーン点検用錘として留置されていますが、凸電の「西桑名側」の台車だそうです。ごつごつした板枠はいかにも頑丈そう、見えませんがモーターもまだついたままだそうです。右の模型はご存知、乗工社から近鉄内部・八王子線時代のデ46としてでていたもの。未塗装のままお目にかけて申し訳ないです。この模型、なかなか洗練された設計で、実車のいいところの雰囲気をうまく醸し出して魅力的、好きな模型の1台なのですが、イメージする架線の高さよりパンタグラフのトップが低く感じます。これが難点かな。

■「台車」だけになっても「模型を早く作ってくれ!」とオーラを感じ、何とも存在感があります(笑)。北勢線の「砂利採り」については、個人的に強い思い入れがあり資料を集めています。

■それでは、3月に親父が逝ってしまい喪中のため年末年始のあいさつは控えさせていただきますが、
みなさまお世話になり,ありがとうございました。