修羅の日記(公開試運転中)

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「よっかいち歴史浪漫紀行」

いささか旧聞になってしまいますが、四日市商工会議所の機関誌「商工春秋」に毎号掲載された5年60話の郷土四日市の歴史の話。毎号テーマを変えながら、よくもいろいろ話題を掘り起こしてくるものだといささか驚きを感じる。その60話が6月に御覧の本になり、送っていただいた。
 著者の考古学協会会員、北野保さんとの出会いは、入社直後の新規採用職員研修で講師として「大膳寺跡」をスライドで解説していただき、「へえーわが社にもこういう人がいるのだ。」と飄々とした独特の醸し出す雰囲気(失礼!)に、妙に感心したことに始まる。その後、市の博物館設立をはじめとする文化行政全般に関わり、特に近代化遺産の分野では先き駆けとして常に最前線で仕事をされた先輩である。
 今もって四日市港の五角形の大きな穴のあいた「潮吹き防波堤」がどういう機能を果たしていたのか、すべての謎が明らかになっているわけではないが、今から20年ぐらい前に明治の外国人技師ヨハネス・デ・レーケがこの特異な形の設計に関わったのではないか、否か?との疑問から始まり、三河の石大工、服部長七の人造石工法にたどりつく。この数奇な歴史を持つ防波堤の重要文化財(近代化遺産)指定こそ北野先輩の考古学から一歩踏み出た「この仕事のはじまり」となる。
 自分も思い起こせば、職業人生の中でざっと12,3年くらいを「四日市港」のために費ってきたが、自分自身が港について語る時期ではまだない。身軽な北野先輩に、ぜひ代わりに語ってもらおうと、一緒に諏訪栄町「K」の暖簾をくぐり、語り会えばいつのまにか「酔心」の一升瓶が空になって「からん」と音を立てて転げていくではないか・・。という「夢」をお酒が飲めなくなった最近よく見る。
 酒の肴に、文字に落ちる前に語った物語は潮吹き防波堤、可動橋末広橋梁、霞ヶ浦遊園地、四敦運河、四日市市総合開発計画、B29の模擬爆弾、ロケット戦闘機秋水などなど、鉄道ネタでいえば稲葉さんの勢江鉄道、内部・八王子線、島安次郎、前島密関西鉄道、椙山先生と伊勢電、香住かれいと餘部鉄橋などなど、石原産業のB6の写真、資料の提供という尾ヒレまでついた。あの時「夢」のように酔っているのに妙に頭が冴えて、いろいろなことを、すらすら思い出すのには驚いた。きっと北野先輩の魔術なのか、繰り出すお酒の美味さのせいなのかもしれない。
 ネタとしては、かなりマニアックでオタクなものも含まれていると感じるが、北野先輩の手にかかると、一般の人も安心して近寄れる親しみのある語り口になるのは不思議な感じがする。これこそが「年季の積み重ね」がなせる技かもしれない。