修羅の日記(公開試運転中)

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生野銀山と明神電車

 生野駅を出て史跡「生野銀山」に向かっている時、車のフロントガラスに大粒の雨が当たりだし、すぐにバケツをひっくり返したような強い雨で、一時は前が見えないほどだった。この雨はなかなか止まず、入口に近い生野鉱物資料館と車の車窓から展示車両を撮影するだけにした。車の窓を開けると雨が降りこむので、慌てて撮影して、全部を一枚に収めるのが難しいため、ふたつの画像をレタッチソフトを使い無理やりくっつけました。
 明延は生野銀山の支山とされており、当初、選鉱は生野や神子畑(みこばた)で行っていました。明神電車は神子畑との間の鉱石運搬手段として運行されていました。
 播但線新井(にい)駅に近い国道312号沿いにある道の駅「あさご」河川公園入り口横にも同じようなセットでL型電気機関車と人車、グランピー鉱車が保存展示されています。
 ここや和田山でも強い雨に追いかけられて、もったいなく思いながらも撮影を止めてしまいました。また時間に余裕があれば神子畑や明延あたりまで行きたかったのですが、播但線沿線だけでフル稼働してしまい、ナロー・モデル趣味を貫徹できませんでした。「明神電車」は昔、「一円電車」としてマスコミにも取り上げられていましたが、初めて存在を知ったのは、これも「鉄道模型趣味」誌の坂本衛氏の紹介記事(「ナローゲージモデリング」再録)で知りました。明延の車両たちは良くも悪くも、「個性的」どころか「怪しい形」をしていることに驚きました。原色の派手ないでたちは今も変わらず、色も「怪しい」。
これはすごい!>☆☆山手線なみの列車密度、明神電車の動画☆☆



 自分の鉄道の知識は鉄道模型に大きく偏っています。これは、こどものころは模型にかけるお金と鉄道模型趣味誌を買うお金だけで、おこずかいが無くなってなくなって鉄道ファンもジャーナルもピクトリアルも定期的には買えなかった。模型を作ったり、買ったりするための鉄道写真・鉄道の情報に絞っていたからだろうとも思います。
 雨にたたられて、十分な取材ができませんでしたが、銀や錫などの鉱物資源によってもたらされた巨万の富、生野銀山は小さな街に驚くほどの繁栄をもたらしました。その後の衰退の過程も含めて街全体が、あたかも博物館のような気がしました。

■史跡生野銀山展示車両
三菱電機製20号機、人車「あおば号」、鉱車
■道の駅「あさご」展示車両
三菱電機製5号機、人車「わかば号」、グランピー鉱車

参考資料:「全国鉱山鉄道」岡本憲之 JTBキャンブックス
参考HP:
史跡 生野銀山
http://www.ikuno-ginzan.co.jp/
鉱山町を歩くスローな旅IKUNO 生野銀山
http://asago.org/ikuno/matinami/matinami.html
生野銀山-大人の時空の旅Club
http://blogs.yahoo.co.jp/baahus5st
鉱石の道 明延実行委員会
http://www.fureai-net.tv/akenobesizen/kouseki/contribution.html
とれいん工房の汽車旅12ヵ月
http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20101010/p1