修羅の日記(公開試運転中)

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チューリップ王国の終着駅〜城端線城端(じょうはな)駅

■先月末の「富山支店配属が決まった。」との娘からの便り。大学が金沢なので「せめて名古屋か大阪あたりで勤めてくれんかなあ」とは親の勝手な思い。娘の人生は娘自身のもの、自分で切り開いていってもらいたいと心から願っている。

■画像は2014年の砺波の「チューリップフェア」。
■昨年の連休に帰郷した際に、金沢に送りついでに娘に運転を交代してもらいながら、宇奈月温泉黒部峡谷鉄道から金沢のKさんところへ回ったことは、ブログでも一部の内容を紹介した。
■往路、東海北陸道を北上しチューリップ畑が広がる砺波に立ち寄った。連休最終日ということもあり、市の入り口から交通規制がひかれているぐらいだった。こんなに大規模に市をあげて「まつり」を催しているとは知らなかった。
■会場ではチューリップの球根の予約販売も行われており、相方が世話をして今年の春は、家の玄関や弟の病院の玄関で可憐な姿を楽しまさせてくれている。

■チューリップは確かに面白い花。中世の貴族や騎士たちに愛された昔から交配を重ねながら種類を増やしてきたのだと思う。砺波はまさに日本のチューリップ王国かもしれない。

■春の富山県を旅していると、あちらこちらで立山連峰の雪を抱いた姿が目に入る。黒部や魚津で振り向くと、いつもこの景色を背負っていると気づかされる。僕等が西に鈴鹿山脈を見て雪があるかないかで常に気候を感じるのと似た感覚だが、こちらの高さは3倍、山の連なりはボリューム感たっぷりである。

■そして五箇山の合掌集落。ここへアクセスする鉄道がチューリップ王国を縦断して走るローカル線城端線であり、その終着駅である城端(じょうはな)駅は、この山里への玄関口である。
■その城端駅。形そのものはそれほどシンボリックなものでないが、この何気なさがとても良い。

■どこから見ても破たん無くまとまったデザインのまま残っている「ミスター・ローカル駅」とでも呼びましょうか。

■ちょうどキハ2連「忍者はっとりくん」発車、ディーゼル音が高くなり過ぎ去ると、あたりに静寂が訪れヒバリの鳴き声が頭の上から聞こえてくる。

■僕がここに立ち寄りたくなったのは、金沢のKさんのところで昭和40年代の金沢の模型クラブの活動ぶりの話をお聞きした直後で、鉄道模型レイアウトの名作「雲龍寺鉄道」のことも話題になったからである。

■「雲龍寺鉄道」に関しては2011年末「TMS1月号を読む〜14歳が1969年に見たレイアウトの夢」としてまとめさせていただいた。G&D鉄道のグラフと雲龍寺には憧れて挑戦しようとして早々に敗れてエレキギターと色気に走った。くどくどした文章ですが、よければ一応お読みください。
 ◆2011年末「TMS1月号を読む〜14歳が1969年に見たレイアウトの夢」

雲龍寺鉄道はここ城端駅から延伸してループを使って高低差をあがり、終点「祖山(そやま)」に達するという架空の鉄道を実に巧みにリアリティたっぷりに語りレイアウトに再現しているが、確かに城端から五箇山方面の山里に達するには、道路もつづら折りのルートになる。
■作者は金沢の模型クラブの仲間と車で何度もロケハンしてイメージを深めたに違いない。そしてレイアウトへの意欲も同時に高めていったのだろう。

■かつての城端駅構内の配線図。貨物側線、機回し線、小ぶりのターンテーブルに駐泊所。そして城端駅の終着駅の雰囲気をレイアウトに再現しているのに改めて息を呑むのである。自分に伝わってくるのは「精巧さ」や「緻密さ」ではない、あくまで「その場所の空気感」「感動」である。頑固者と言われるのを承知で「ジオラマ」ではなく「レイアウト」と呼ぶのにこだわりたい。

【4月28日付記】

■娘の赴任地が富山に決まったことを金沢のKさんにお報せするのに葉書に城端駅の上の画像を刷り込んで雲龍寺鉄道のことを同じような趣旨で書いたところ、お返事の中で「訃報」を知りました。

■『レイアウト雲龍寺鉄道』の作者である荒崎良徳氏、2014年10月に83歳でお亡くなりになったとのことです。
■最近、まめに鉄道模型雑誌をチェックしておりませんで、どこかで既報の話かも知りませんが、僕は今日知りました。鉄道模型をやめ寺務に専念された荒崎さんのことに関しては何も言うことはありません。ただただ合掌するのみです。