修羅の日記(公開試運転中)

ダイアリーから移転しました

薄墨桜を訪ねる〜樽見鉄道樽見駅

■嫁が「行ってみたい」と前々から言っていた岐阜県本巣市、根尾谷の薄墨桜(うすずみさくら)。
散り際に薄く墨を引いたような色が着くことからこの名がある。
東海地方のテレビ局は毎年、この桜が満開に近づくと中継をする。
樹齢1500年余。この地方で「最も有名な一本の桜」かもしれない。

■1500年。この桜は何を見てきたのだろう。
御覧のように満身創痍、枝も新しい樹から移植、何と根も移植されて生き永らえているのだ。
そのようになりながらも長い歴史を背負い生きていく姿に多くの人の心が揺さぶられる。

■周りの整備と同時に撮影のためのお立ち台がつくられており、そこを登ると俯瞰で撮影できる。
左隣はこの桜の二世であり、これですら幹回りが太い見事な古木である。

■自宅を朝8時前にでて長良川の堤防道路をずっと北上したのちに、
大垣の東で樽見鉄道に沿って国道で2時間弱で到着。駐車場へもすんなりと入れたが、
1時間半ぐらい後に帰路、国道に戻ると駐車場から溢れた車で3キロくらいの間がノロノロとしか動かない状態になっていた。

■山里で普段はひっそりとしたところである、国道は福井へ抜ける一本道、逃げ道はない。
平日でも、このありさまだから、この土日はどうなっているのだろうと思うと恐ろしい。

■最寄りの樽見鉄道樽見駅からも徒歩で15分なので、鉄道を使っても薄墨桜へアクセスはしやすい。
駅の周りにも桜が満開で出迎えてくれる。沿線も桜の本数は多いので車窓からも楽しめる。

You Tubeにも大垣〜樽見の車窓ビデオがアップされていて
アップされた方に連絡を取り「リンク埋め込み」させてもらいました。

■谷汲口駅の圧倒的なボリュームの桜めがけて列車が吸い込まれていく様は本当に美しい。
ぜひ一度、ご覧になって欲しい。
■railtomoさん『前面展望 樽見鉄道 大垣→樽見 2013/04/04撮影』


■薄墨桜を見た後にこの駅に車を入れてうろうろ。ちょうど2両編成DCの急行が到着。
 新旧のDCで屋根の高さが違うのはご愛嬌である。(ハイモ295-516+ハイモ230-313)

■列車はスシ詰め状態。たくさんの乗客が降車、お年寄りの姿も多い。

■それにしてもいわゆる団塊の世代の方は一眼レフ持ちが多いですな。
団塊から外れている私はコンデジ持ち。
うちの嫁はんも一眼を欲しがっているが自分のニコンD300sは扱いが難しいのとデザインで嫌われている(笑)

■そうこうしている間に樽見鉄道、列車を分割して折り返していく。
この時期、桜ダイヤで車両を増結したり、急行を間に挟んだり、この鉄道にとって最も忙しい時なのだろう。それでも土日には大垣駅で満車になり途中駅で積み残しが出るという。

■地方の鉄道はこういうところが多い、本来、潜在的な輸送力はバスなどより圧倒的に優れているのだが、普段の乗客数から車両をおいそれと増やせない、オフとピークのギャップ、その経営的なジレンマの解消は地方鉄道の永遠のテーマと思う。

■車ですんなりアクセスした三重県の人間が言うのもなんですが、それでも「樽見鉄道」。少々の混み具合は我慢してあげてください。(やや反省)

池上線にまつわる話、ふたたび〜戸越銀座駅


(デハ3450形画像:cjm氏提供、ありがとう!)

■前に久が原商店街の「モデルエース」のことを懐かしんで書きました。
 2012-04-23 久が原の模型店モデルエース

■もう3年も前の記事なのですが、いまだにコメントの書き込みがあり、
「ウォーゲームやRPGなどパソコンに載る前のボードゲーム」「フィギュアが揃う店」
「オーロラなどのモンスター、SFもの」など時代によって違うけれど、
珍しい品が揃う「わざわざ足を運ぶ価値のある模型屋さん」として皆さんが強い愛着を持っていたことがよくわかります。

■久が原には母の妹、地元出身の叔母がいましたので、親も叔母の家の近くなら安心だろうと近所に住むことになりました。
通学の時間や費用を考えると学校に近い中央線や西武線沿線に引っ越そうと何度も考えましたが、居心地がよく大学4年もの間、ずっと引っ越さずに過ごしました。

久が原駅からアパートまでの間に書店、コインランドリー。風呂屋、サミットストア、洋食屋に蕎麦屋、果ては郵便局、文房具屋・・それに何と言っても「モデルエース!」と便利なことこの上ない。
それに時折、叔母の家でごちそうになると天ぷらやとんかつなど美味しい手料理。

■この便利なアパートを不動産屋で探すのに付き合ってくれたのも世話好きの叔母。
蓮沼でしていた家庭教師を紹介してくれたのも叔母。
ひどい熱を出して一人唸っていた時もタイミングよくのぞいてくれて助けてくれたのも叔母。
我々夫婦の仲人まで叔母夫婦に引き受けてもらい。何から何までお世話になりました。

■全くプライベートな話になり恐縮ですが、その叔母が先月末に脳出血を患い、先週に逝ってしまい葬儀に参列しました。
■叔母は池上線のことを「失礼しちゃうわ、東横線田園都市線の電車どころか、最近では目蒲線より古いのよ、池上線は」とよくぼやいていました。

■鉄道趣味から遠ざかっていた僕も「三岐鉄道」と同クラスの古い電車がゴロゴロ走っているのと、駅の数が多すぎてやたら時間がかかるので、朝は早くでなくちゃいけない。五反田の高架ホームは風の吹きさらしで寒いし、池上線はまるで大東京にあってローカル線並みの不便な電車とクソミソに貶していましたね。

■でも叔母も僕も池上線が大好きでした。今も当時の久が原や池上線のことは忘れたくない、懐かしくてたまらない。池上線には叔母の想い出が一杯詰まっています。

■前にも挙げた西島三重子の歌う「池上線」。
 2012-04-27 十和田観光電鉄と池上線
(ここにでてくる十和田観光電鉄のステンの電車、行先はさてどこに? 正解は一畑電鉄かー!)

■歌謡曲は嫌いだったけれど、この歌は大好きだねーー

https://youtu.be/9GmXJdPz2QM

■この歌の出だしは、「♪ 古い電車のドアのそば、♪二人は黙って立っていた・・♪」(作詩:佐籐順英 作曲:西島三重子)とか、二番の「商店街・・角のフルーツショップ・・」とか、いかにも池上線や久が原にありそうなシチュエーションで胸がきゅんとなりますが、「古い電車」ですぜ!「古い」!「旧い」ではなく「古い」ということはボロいという意味が含まれますよね(笑)。

■「車両更新を進めていた東急もここが気に入らなかったみたいで、ヒットしたにも関わらず、当時は何ら関わりを持とうとしなかったみたい。」という話が伝わってきます。それと池上線のどの駅もよく似た雰囲気を持っているので、どこの駅をモデルにしているのかが謎でしたが、最近になって作詞者:佐籐順英氏の明かしたところによれば、歌詞は体験に基づくもので「池上駅」が正解だそうです。久が原じゃないのは自分としては残念。
団塊スマートライフ『名曲「池上線」の舞台 〜 池上駅』

■僕はあまり東急のことを知っているわけではありませんが、cjm氏から「修羅さんが久が原にいた時代はこの車両じゃない。」と画像をTwitterに提供してくれました。いかにも「彼女とうつむきながらドアのそばに立つと隙間風が吹いてきそう!」(笑)見栄はってるのじゃなく感動の実話、実話!!

■叔母に最後の別れを告げた後、タクシーを固辞して相方と斎場から池上線の戸越銀座駅まで歩きました。「日本で一番長い商店街」らしいけれど、駅の雰囲気は自分のいたころの昔と変わっていません。当たり前だけれど車両は全く変わって立派なものになっていますねー地元の三岐だって20M級の西武OBが走っている時代ですからネ。

■もうひとつ変わらないものを車窓から見つけました!

■「男はつらいよ」シリーズ第11作「寅次郎忘れな草」は最も人気のあるマドンナであるリリー松岡(浅丘ルリ子)が初めて登場する作品ですが、五反田の場末のキャバレーで歌っている、しかも金を無心する母親が池上線高架が見える新開地で暮らしているという設定で、リリーを口汚く罵りながら別れるシーン、リリーの悲しそうな表情がざくっと心をえぐります。このシーンは池上線をくぐり国電のガードと目黒川の間の狭い道が舞台になっています。

■毎日のように車窓から眺めていた五反田駅の東側に広がるこの景色。周りは再開発で綺麗に変わっても、ここの空間構成やガードや川が醸し出す「場末感」は今も変わらない感じがして正直嬉しい。

■陽気が良くなって体調も良い時に、ぜひ久が原や池上から蒲田あたりも訪ねて昔の想い出に浸ってみたいと思う。


ゆくとしくるとし 2014年大晦日

■みなさん、今年もお世話になりました

■まだ体の調子も戻らず加療中、万全とは言えないのは残念ですが、
 家族の支えをもらいながら、一年を過ごすことができました。
 そしてだらだらと60歳のオジンになってしまいました。

■40歳になろうとする頃にできた、下の娘が3月で大学卒業。無事就職できそう。
 上の娘も劇団Hをやめ来年から新たな職に、また、そろそろ家をでていきそう。
 このような転機もあり、なんとなく重荷が降りた気持ちの年末でもあります。

■家族一緒になろうとすると、必然的に娘のいる金沢周辺の北陸方面へ。
 黒部峡谷鉄道にも25年ぶりに乗りました。

■金沢のKさんには特にお世話になりました。
 新たに木曽のプリントをお借りしたり、レイアウトで遊ばせていただいたり・・
 何もないのもつまらないと訪問の直前に ヤフオクで久しぶりにNゲージ名鉄8000系を手に入れました。
 これを機にNゲージがやたら増え、ようやく「模型いじり」らしきことも始めました。

■こういう「いけないこと」もお願いしてしまいました(笑)

■それにしても金沢駅北陸新幹線開業を前にして大きく姿を変えているのには驚きました。

■新たな年には娘がここから羽ばたく予定。
■新たな時代に世代の交代を強く意識しながら、年の変わり目を迎えています。

■紅白始まりましたネ!それでは


(追加)

【今年書こうと思って書か(け)なかったブログネタ】
北勢線モニ226の運転台から〜保存の顛末話
黒部峡谷鉄道黒薙支線(Kさんから)
サイパンのコッペルの顛末記
養老鉄道天井川トンネルの扁額
※S先生のブルースターパシフィック鉄道
 などなど

【今年行きたいと思って行けなかったところ】
※神戸ミーティングと神戸の石原産業Cタンク、
※高山行きたい。くるまやさんと遊びたい
※日吉MやJAMもあるが、やっぱり軽便祭
※みんなと行く明治村
※御嶽に負けるな・・われらが王滝村
※ひさしぶりに遠山梨元
奥飛騨温泉の白く濁った湯
※死んだオヤジの部隊が本土決戦に備えていた熊本県とC12がいた南阿蘇
※S兄のいる大分・別府で温泉に浸かる
※病気を少しでもよくしてくれる薬をくれる病院
※もう一度城崎温泉餘部鉄橋
※Jさんとこ

(追加2)
下のrailtruckさんのコメント。Twitterで話題にしたものですが、
かつての六甲のミーティングで見た実物写真及びOn30の模型です。

師走の寒空で貨物三昧〜三岐鉄道と貨物鉄道博物館

■12月に入り短いサイクルで低気圧や寒波が日本列島を通り過ぎ。今日は北勢地方も未明から雪が降り始め朝には20センチくらいの積雪になった。

■実は三重県北部は割に雪が降ったりする。日本地図を想像していただくと若狭湾と伊勢湾は琵琶湖を挟んでややくびれた形状をしている。普段は伊吹山鈴鹿山脈がブロックして滋賀県北東部や関ヶ原あたりまで雪が降りやすいのだが、時折、鈴鹿おろしの風に乗って雪雲がやってくる。

■昨夜は風向きが西方向で風の通り道となる関ヶ原あたりから名古屋方面に次々と雪雲が通りすぎ久しぶりの大雪になった。

■先週は九州から長期出張で四日市に滞在中のS兄さん(兄弟とモデラー仲間なのでこうなる)と久しぶりに会うことになった。S兄さんにご連絡いただきながら、なかなか体調が悪かったりして、やっと逢うことができた。

■S兄さん、貨物列車が好きなので当然「三岐鉄道本線」中心になる。コーヒー飲んでから、まず丹生川駅の「貨物鉄道博物館」へ行こうということになった。僕自身も久方ぶりである。しかも「開館日」。

■いつのまにか展示車両が増えていて特にタンク車の充実ぶりが著しい。

三岐鉄道が横を走っているので列車が通るたびにカメラを向ける。うろうろしているだけでも何とも楽しめる場所である。

■S兄さんも大分で育っているだけに津久見筑豊などが近くにあって9600やD50・D60あたりの蒸気機関車の現役末期を知っている同世代。貨車好きになるのもわかる気がする。

■開館日しか見れないが室内にはレイアウトがある。NもHOも地元にちなんだ三岐の車両やJRの貨物列車が似合うシーナリーになっている。

■しかし、冷えこむ日。西藤原岳には雪が降っている。S兄とぶらぶらカメラを向けていると、係の人が話しかけてきて三岐本線の線路工事に伴い展示線路を本線から分離して新設しているとのこと。工事真っ最中。

■軌陸車ならぬ軌陸ユンボ(?)レールに載れるというよりレールを傷つけないための工夫ですかね。

■ここでS兄がバシャバシャと細部にカメラを向けていたのが、「陸軍鉄道連隊九十一式・九十七式軽貨車」。前に訪れた時は西の端に置かれていたが、工事の都合で一時的に台車部分を外して置かれていた。(下の画像は運び込まれて間もない2003年10月に撮影したもの)

■クセモノが揃っている貨物鉄道博物館ではあまり目立たぬ存在ではあるが、いわば珍品中の珍品。形は林鉄の運材台車のようであるが、今でいえば原始的なフリーゲージ・トレイン、あちらこちらで使えるように軌間が変えられるというシロモノである。

■軸にボルトで取り付けられたスペーサーの抜き差しで車輪の位置が変えられる仕組み。連結器はかんたんないわゆる朝顔形のピン・リンク式。ちなみに91式は軌間は1524mm、1435mm、1067mmの三種、97式は1000㎜から1524mmに対応している。1524㎜といえば戦前の陸軍が強くソ連を意識していたことがわかる。

■ということでこの後、東藤原・西藤原と回るのだが、あとで過去の画像ファイルを漁ったら2003年10月にも九州からS兄が来ていて、今回とまったく同じコースを周っていたことが分かった。自分の案内もあまり進歩していない。そういえば木曽モジュールクラブのみなさんが来た時もほとんど同じだったような気がするなあ。(つづく)

北勢線クモハ277も三重交通カラーに ▽馬道駅

■昨年ブログで連接車が三重交通カラーになったと取り上げたところ、三岐鉄道大図鑑の南野さんよりすかさず「残りのクモハ277は検査時期の都合で今はまだ三岐カラーですが、来年秋頃には4輌すべて三重交通塗装になるようです。」とコメントをいただきました。
北勢線三重交通カラー現る」
http://d.hatena.ne.jp/syura_muramasa/20131101#p1

■やや後れを取りましたが、昨日、療養の帰りにパーキングスペースのある蓮花寺駅に車を置き、阿下喜行クモハ277をキャッチしました。

■この三重交通色、クリームとダークグリーンのトーンが絶妙で、コントラストで見せるというか上品な味わいがあり大好きです。模型屋の発想ですが路面電車に塗れば、即、伊勢の「神都線」になりますし・・。ただ切妻のクモハは「湘南電車にくっついた荷物電車」のような感じがしますねー。やはり湘南顔の方が数倍似合う。

■せっかく蓮花寺のホームに上がったので、そのまま西桑名行に乗車、馬道(うまみち)までいきます。

■もともと馬道駅自体が桑名の下町的雰囲気で狭い場所に建てられているので、西桑名方面ホームには駅舎がありません。切符の回収はワンマンの運転士さんが行っています。昔は踏切に寄り添うように、駅舎のある阿下喜方面に渡れるようにしつらえてあったようで、階段の跡が残っています。あっ!しまった。ミラーに冴えなく自分が映ってる(笑)

馬道駅は馬の額ならぬネコの額のように崖や水路を避けて絶妙に駅舎が建てられ、模型よりも模型的というか、実物もかくありなんという鉄道模型レイアウトに好適なストラクチャーです。

■一部が改装により耐火ボードやサッシに交換されていますが、レールの骨組みでできた屋根、木製のベンチが残り、木製の窓も残っています。座ってみると明かりが入り、気持ちいいんだこれが・・!

■使い勝手が不便なところもありますが、どっちみち建て替えようとすると、建築法規で元のスペースはとれないだろうし、可愛い駅舎をこのまま残していただきたいと切に願うものです。

【追加】数日経ちましたが、東員イオンモールのポポンデッタ(隣のJohsinが鉄道模型扱っていてやや可哀想だがNゲージや塗料なら大体揃うので便利)で車間短縮カプラーとマグネマチックカプラー短(10月再販)を買いに行き、昼飯前に撮影。ここで撮るとやや印象が違う。かっこいい!ので大き目の一番上に持っていく。

懐かしの中国式気功整体

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■相変わらず、時々、海津まで行き温泉に通ったりの日を送っています。【なお写真は記事に関係なく温泉の近くの「海津市歴史民俗資料館」】

■そんなにひどく悪くなるわけでもないのですが、左肩の骨と骨が擦れて音を出したり、呼吸が苦しくなったりします。

■中国人整体師が名古屋で開業したため、近くで他に2,3人の整体を受けてみましたが、彼ほどの腕の整体師には悔しいがめくりあえない。

■大連生まれの趙さん。どうしているのだろう。整体受けながら「尖閣はどうのこうの」とか「ウイグルイスラム過激派か否か」とか「遼寧がどうのこうの」、「日本にも空母があるじゃない」「いや、あれは揚陸艦でヘリだよ」「F35Bライトニングがどうのこうの」。口からつば飛ばして率直に言い合いしていたのが懐かしい。

■中国人としてのプライドや自意識はもちろん持ちながらも、患者である日本人に対して思いやりも持ち合わせている珍しい中国人。中国の政治や軍事に関する知識は相当なので整体師は仮の姿でどっかのエージェントではないかと疑いたくなるほど。あまり書くと彼に何か不利益になるといけないので、このへんで。

■ただ彼が子供の事情で帰化を決断しようかしまいか、という時に保証人がいないと困っていた時に、収入もなく保証する力もないので断ったのは、申し訳なかったと今も後悔している。お子さんはあるスポーツで実業団で活躍中だそうである。

■彼がいなくなり、一時的にでも十分に筋肉を柔らかくしてくれないので困る。大体、歩いて15分、車で3分のところに彼がいたのが奇跡的かもしれない、探してきてくれたのは女房だが、かちかちでネコ背になってしまっていた背中が曲がりなりにもまっすぐにはなった。こわばった顔のほうれい線も半年で消えた。

■ただ、それ以降は2年通っても、これ以上はよくならなかった。

■追いかけて名古屋まで行く気力もないし、というところで温泉後に温泉近くの接骨院でマッサージと電気と超音波マッサージを併用することでなんとか維持している感じ。肩甲骨が浮いている感じがするのは周りの筋肉のせいだそうで、そこを重点的にやてもらって暮らしている。

■懐かしいなあーやや中国訛りの日本語。

 

 

 

「しらさぎの里」のロマンスカー ▽山中温泉(石川県)

■家族旅行の行先を山中温泉に決めて、下の娘は夕方にJR加賀温泉駅で待ち合わせをすることにしました。

■片山津・山代・山中とか温泉が集まっているので、土曜がまだ半日勤務だった時代は特に福井も含めてこの辺が社員旅行の行先として手頃で何度も何度も行きました。ところが、大体が「ノミニケーション」とか称して酒飲むのが目的で名所・旧跡も行ってもあまり印象がなく、飲んで寝転がってばかりいた記憶ばかり。(今時はノミニケーションなし、社員旅行行きたくないだものね。)お恥ずかしいことに、ゆったりと「山中温泉」の良さを味わうのは今回初めてかもしれません。

■こんなにいいところだったとは・・。「しらさぎの里」と称しているのは泊まった旅館たわらやのパンフの説明によれば、
『今から800年前、長谷部信連(はせべのぶつら)という人が鷹狩をしていた際に、偶然傷ついた足を湯に浸す白鷺を見つける。そっと近づくと白鷺は女性へと姿を変え、自らを薬師如来の化身と名乗って山中温泉の再興を促したといわれる。信連は薬師堂を安置した湯座屋を建立。以来、山中の湯は病を治す名湯として有名になったと言われています。』

■そんな白鷺伝説で開湯された山中温泉の総湯『菊の湯』。女湯は中の様子が違うようですが、男湯は深さ1mの立ち湯で朝のラジオ体操が終わった6時45分に開く。地元の人と一緒になだれ込み、すぐに満員に。みんながさっと入ってさっと出ていく。とにかく無色透明のさっぱりするお湯。朝は特に快適だ。

■というわけで「白鷺伝説」があってこその山中温泉。また北陸の鉄道のことだと、何かとひっぱり出させていただく石鉄さんの「懐想石川の鉄道」によると昭和46年(1971)まで北陸本線の粟津、大聖寺、動橋から山中温泉まで加南線が走っていた。加賀南部一帯のそれぞれの温泉を結んでいたわけだ。
「懐想石川の鉄道」http://www.asagaotv.ne.jp/~ohara/
 同サイトの北陸鉄道加南線のページ http://www.asagaotv.ne.jp/~ohara/28kanan.html 

■輝かしい時代に満を持して北陸鉄道が投入したのがロマンスカーしらさぎ」。ロマンスカーとして快走した時代は短かったが、移籍した大井川鉄道時代にファンになった人も多いみたいですね。

北陸鉄道6010系は日本初のオールアルミカーとして目立たないが鉄道史に残る貴重な存在。
マーキングもオリジナルに戻されて山中温泉に戻ってきた。日帰り温泉併設の道の駅にあり人目もあるためか保存状態も御覧の通り良い。

■運転席にも座れるよ。

■下のパネルにもガラスがはまったおしゃれなドアには大井川鉄道時代の名残が・・。

■『しらさぎ』の名は北陸本線の名古屋発の特急に受け継がれていますが、これからもずっと地元の人の誇りの「ロマンス特急しらさぎ号」として愛される存在であってほしいと切に願います。