修羅の日記(公開試運転中)

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永楽の湯―北勢線星川駅

桑名市からいなべ市方面に員弁川に沿って伸びる道路は、古くからの街道の一つ。北勢線も川に沿って河岸段丘と交わりながら西に延びていく。

■星川というところは桑名市郊外に公団や不動産会社による住宅地造成が活発化することによって狭い谷のようなところに、御多聞に漏れず、突如としてショッピングセンター(SC)が現れ、計画的な街づくりを行う間もなく、ぐしゃぐしゃの都市計画の悪い見本のような街になった。

■それから半世紀近く経って悪い街は悪い街なりに歴史を重ね、かわいそうなことに例の○○ン・グループの撤退から数キロ離れたところに「巨艦SC」が立て続けにできても、こじんまりとしたエリアにSCだけでなく書店、銀行、名だたるチェーンの飲食店、携帯ショップなどが固まって揃い、「都市計画の悪い見本」は近隣住民にとって、それなりに利便性の高い街として生き残った。

■そんな場所にある「永楽の湯」は温泉ではない。桑名市水道局の水(笑)だ。

■いつごろ、この風呂屋ができたのかは定かではないが、子供たちも含めて昔からしばしばお世話になった。

■特に小学校の運動会が終わると着替えをもって車に乗って出かけて汗を流す。上気して真っ赤な顔の子供らは当然、腹ペコになるので、広い食堂でそのまま夕飯となる。僕は帰りの運転を妻に任せ生ビールを飲みほして畳で横になる。当時は設備も立派で客も多かった。

■ただ子供らが大きくなるにつれ、全く行くことがなくなった。

■病気を拾い車の運転も全くできない状態から、たった5キロの道のりをひきつってまぶたが閉じる症状と闘いながら車を走らせ、ここに来るようになった。ここの風呂で温まるとガチガチになった体が少し楽になった。

■靴箱の番号にコロラドのミカドを思いだし(笑)

■体重をこんな数字に近づけようとコントロールするバカをやったり。

■天窓を大胆に使って明るい浴室、当時は珍しかった大型テレビを備えたサウナ室。何よりマトモに運転できる距離が限られているので,近くにあるのがうれしくて通った。病院では「これ以上は・・」と見放された体が、整体とここに通うにつれて少しは楽になり、ありがたいことに顔つきまでも変わってきた。

■そんなこんな永楽の湯が・・
■1月11日に完全に閉店してしまった

■昨年の7月に一旦閉店したが、経営者が変わって復活。その時は予告があったが今回は突然である。まだ回数券も残っているのに。

■実は、あちらこちら、かなり老朽化して不具合が出てきたのも前の経営者が見放す一つの理由らしかったけれど、お湯を沸かすボイラーがついに逝ってしまったのが致命的だったよう。年が明けたころに行ったときお湯の温度が低くて、さすがにこれはいかんなあ、と気になってたが。

■あまりの突然で利用していた人は、去年の7月に続いて回数券が残ったよう。今も閉店を知らず店の前で知り、ぼおっと立ちすくみ残念がる人も・・。回数券は元気村(桑名市)というところで使えるようですが。

■きわめて利便性の高い街〜星川から「永楽の湯」が消えたのは残念。誰か新しい温泉を掘れば当たるよ。

■星川には北勢線三岐鉄道が引き継いでから駅員の常駐する駅ができた。SCと隣接して広い駐車場がありパーク・アンド・ライドを実現した。書店が隣接しているのはとても便利である。星川には昔、砂利をとる線路があった。コッペルやボギーの電機はこのためにあったようなもの。これについては資料を集めて改めて。

■最後にSCの駐車場から撮影した旧塗装の200系を。架線柱を避けながら・・10時13分にこれを撮影して、その足で「永楽の湯」に行って、帰りに三重銀行でお金をおろして、時々は鉄道ピクトリアルを買って、バローで昼飯の弁当を買って帰り、昼から整体か病院で点滴という日常が消えた。

■ショックだ!


【追記】

■ブログの更新をさぼっていたら「永楽の湯」が閉じて半年後の4月29日から新たに「ほしの湯」という名で再開していることがわかり早速行ってきた。再開にあたって掃除を徹底したくらいで中身はほとんど変わりありません。目玉の炭酸風呂も(僕は利用しませんが)岩盤浴もそのままあります。

■毎年冬場にやや悪化して苦しい思いをしてしまうが、春先からは筋肉の硬化を防いで体調を戻していかねばならないので風呂は必須。ほかのところの回数券を2冊も買ってしまったが。

北勢線も近いし、もう一度せいぜい利用しようと考えています。(2016/5/12)